hako 生活制作『アンリアルライフ』プレイ感想
※Steam版をプレイ
記憶喪失の少女"ハル"と無線式AI信号機"195"と共に知らない町を巡るADVゲーム『アンリアルライフ』をクリア。ピクセルアートで描かれた夜の街並みが幻想的で美しく、まるで絵本のような世界にしっとりと浸ることができた。
本作では、プレイヤーはハルを操作して2Dマップを探索し、この不思議な世界の謎とハル自身のことを解き明かしていく。ハルはモノの記憶を読む力(サイコメトリー)を持っており、プレイヤーはその記憶と現在とのギャップ、ハルと195のやりとりをヒントに次にとるべき行動を導き出す。この”記憶/記録”の反芻をシステムに組み込んだゲームデザインが秀逸で、ストーリー演出に一貫した魅力と必然性を与えていた。
195の他にも、マリモやネズミと言った人間でないキャラクターが数多く登場する。その掛け合いはユーモラスで楽しい。ホラー要素も含まれる本作の中にあって、これらのキャラクターはハルとプレイヤーに確かな安心感を保証してくれるようだった。ゲームを終える頃には、プレイヤーの誰もが作品世界への名残惜しさを感じることだろう。
ただ、ゲーム全体に漂う静謐な雰囲気に比べると、ドラマチックな場面の音楽と演出が大仰に感じられた。また、個人的には裏設定もあまり好みでなかった。作品の世界観を構築する用語のチョイスと、そうした用語が作中でキャラクターの口から語られる饒舌さが目立つ。作品考察好きな人はハマりそうだし、自分も10代の頃なら刺さっていたかもしれないけど、個人的には若干の気恥ずかしさを覚えてしまった(ホラー演出はなんだかんだ好きです)。逆に言えば、インディーゲームとして作者個人のセンスを最大限に発揮した、個人製作の強みを感じられる作品と言えるのかもしれない。
総じて、『アンリアルライフ』はとても良くできたゲームだった。他のプレイヤーの感想では『UNDERTALE』が引き合いに出されているようだが、僕自身はそちらは未プレイ。個人的には『洞窟物語』を思い出した。
Steam で 50% オフ:アンリアルライフ (steampowered.com)
イタイイイタイ
ビスクドールは棚の上
着せかえ遊びは趣味じゃないから
水面に浮かんだ最後のひとわら
何度も 何度も かきあつめて
編み上げた私のお人形
ぷくぷく溺れていったのはどうせただの石ころです
イタイイイタイ あぁ しょっぱい
おしゃぶりなんてしなければ
美少女フィギュアはガラス越し
きもちわるいのが気持ちいい
ピカピカ稲妻 野原に落とせ
しばいて 叩いて もうボロボロ
ささくれ立った俺のお人形
ちくちく血の池あふれ出ていまや口元が地獄です
イタイイイタイ あぁ しょっぱい
おしゃぶりなんかするからだ
わら わら わら わら
わら わら わら わら
もう、ぺってしちゃいなさい そんなお人形
でもでもだって わからないの
誰もぼくに教えてくれなかった
釘の打ち方を。
ドーナツを巡る二つの想像力――熊倉献『ブランクスペース』感想
ある雨の日、狛江ショーコは同級生の片桐スイが「透明な道具を作り出す」という不思議な力を持っていることを知る。
面食いでバカなショーコとまじめで読書家のスイ。秘密から始まる二人の交流が楽しげでライトな漫画かと思っていたが、読み進めるごとにそのシンプルな表現が鋭さを帯びていくようだった。孤独や痛み、実存の不安。彼女たちの青春の一幕が日常と空想を行き来しながら描かれる。
「ブランク(空白)」の名をタイトルに冠する通り、見えないものと見えるものを巡る本作の描写は興味深い。
…まず――頭の中に部品を思い浮かべる…
そして想像の中で組み立てる…
うまくいけば――現実に引っ張り出せる
スイは自身が持つ力をショーコにこう説明する。傘、はさみ、風船。彼女が作り出した道具は誰の目にも見えないが、重さがあり、質感があり、機能する。確かにそれらは存在している。ただし引っ張り出すには物の仕組みを理解しなければならない。それ故かスイは読書家であり、ひとりで物自体と向き合っている。
それに対してショーコは一見すると何のとりえもない。「金属」「照明」「鉄塔」。山積みの本のタイトルから彼女は巨大ロボを思い浮かべたりする。スイと違ってこちらは単なる空想だ。しかしそれらは漫画の絵として描かれて、確かなビジュアルを与えられる。ショーコは友達から刺激を受けながら、夢や空想を映像としてありありと思い描ける人だと言えよう。
小説はドーナツの周辺にある物事を言葉で綴り、何もない空白からドーナツの輪郭を浮かび上がらせる。漫画はドーナツの輪郭や陰影に線を引き、そこにある穴をも存在するものとして描き出す。「ドーナツ」という文字の連なりに隠れてしまう、ものとそれを取り巻く世界を表すための二つの想像力がある。言うなれば、スイとショーコの関係はそういった小説と漫画のメタファーなのではないか。
「作ったときの…記憶が曖昧になってくると いつの間にか消えちゃうんだ」
ショーコが透明な風船のゆくえを尋ねた時、スイはこう答えた。青春時代を振り返る時、私達は得てして「あの頃は若かった」と言う。あれは未熟さゆえの気の迷いだったと言わんばかりに。けれども棘も傷も確かにそこにあったはずだ。
小説と漫画、見えないものと見えるもの、スイとショーコ。本作は二つの想像力が交わる場所、空代市という架空の町を舞台に二人の日々を綴り、忘れ得ぬ青春の手ざわりを私達の前に描き出す。
人が語り出す所に怪異あり――鈴木捧『実話怪談 蜃気楼』
怪談と聞いて、真っ先に「こわいはなし」を思い浮かべる人が多いのではないかと思う。学校の怪談、都市伝説、ホラー映画。それらの中で怪異とは私達に恐怖を与える存在だ。予兆とともに日常に忍び込み、不確かな姿で迫りくる。そして「今あなたのうしろにいるの」。私達はその姿を目撃してひとしきり怖がってみせた後、再び平和な日常へと帰っていく。エンタメとしてのホラーは得てしてそんなフィクションである。
竹書房主催の実話怪談コンペでその頭角を現し、2020年に単著デビューを果たした怪談作家・鈴木捧。氏の二冊目の単著となる新刊『実話怪談 蜃気楼』には、私達がイメージする「こわいはなし」に留まらない怪談が38篇収録されている。
ドラッグストアで見かけた女性への違和感を語る表題作「蜃気楼」。かの大統領は事故で死んだと報じるビデオテープにまつわる記憶「ケネディ」。修学旅行で山道の先に見た「鹿の葬式」や恋人との登山の思い出「富嶽」。収録された怪談は山や自然にまつわる怪談が多いが、都市や郊外の風景、古典的な心霊写真も登場する。怪異は心霊スポットのような特別な場所に現れるのでなく、人が語り出す所に怪異ありといった具合だ。怪談とは、何よりもまず奇妙な体験の語りなのである。
怪異に遭遇した人の心理には大きく興味がある。不可思議を前にして何を感じ、どう心が動いたのか。いつもそれを聴きたいと思っている。
著者は前著『実話怪談 花筐』にこのようなコメントを寄せている。現実における奇妙な体験にはオチも段取りもないのが大半だ。フィクションと違って割り切れないからこそ体験は記憶の奥底に棲みついて、「今思えばあれは何だったのか」とそれを語る当人の人生の一部として語り直される。実話怪談とは言うなれば、人の人生のある期間にまたがったきわめてパーソナルな体験に触れる営みでもある。著者は人々のそうした語りを拾い集めて、飾らない文体でそれらエピソードの数々を書き記す。
そこから浮かび上がってくるものが、著者が本書あとがきで語る怪異の正体にほかならない。フィクションでは運命や必然として、ある意味当然のように謳い上げられている。現実にあるかないかもわからない「それ」の輪郭を逆説的に描き出すアプローチこそが、著者にとって怪談を聴き取り、怪談を語ることなのであろう。実話怪談というジャンルになじみのないホラーファンにこそ本書をおすすめしたい。
おわりに、個人的に印象に残った三篇を挙げたい。
「静寂」
マンションの内見時にT沢さんが体験した不思議な話。家探しはいつだって難しいもので、期待に胸を膨らませながら現地に赴くと意外と部屋が狭くてガッカリしたりする。間取りを見るだけではわからない。そんな何かにT沢さんも気づいてしまう。その筆致がとにかく巧みで、映像がありありと浮かんでくるようだった。ホラーオムニバスTVドラマを思わせる一篇。
「瓶のミミズ」
同級生のイトウくんと「瓶詰めのミミズ」のエピソードをタキタさんが語る。ミミズという生々しいものが真っ先に出てきて意表を突かれるのだが、そこからの先の展開はますますよくわからない。何かつながりがあるようでないようにも思える。少なくとも語り手本人の中ではひとつながりの話になっている。その不吉さだけが残る。
「幽霊相談」
本書の中でもとりわけシンプルな話。電話は未だホラーに欠かせない定番のアイテムであるが、今はむしろLINEのようなメッセージアプリが主流の時代だ。また位置情報サービスやターゲット広告、アプリ間での連動も当たり前となり、ユーザーが関知しきれない領域がますます増えている。幽霊はその狭間に潜んでいるのかもしれない。