タケイブログ

ほぼ年1更新ブログ。

コヨーテ、ACME社を訴える――『Coyote vs. Acme』感想


ワーナーブラザーズのカートゥーンアニメ「ルーニー・テューンズ」のキャラクターと人間が共存する世界を舞台にした法廷コメディ『Coyote vs. Acme』。懐古趣味や過去への郷愁ではなく、今見て面白いものを作ろうという真摯な姿勢が感じられる映画だった。一見ちぐはぐにも思える実写+カートゥーン映像のドタバタが目に楽しく、屈託なく笑えるのがとても良い。僕も他の観客と一緒になって笑った。

僕らの世代だと「どったの、センセー?(CV 山口勝平)」のバグズ・バニーでおなじみのルーニー・テューンズ。その中でも本作がフィーチャーするのはワイリー・コヨーテとロードランナー。ロードランナーを捕まえようとして毎回失敗するコヨーテが、道具の製造元であるACME社に対して訴訟を起こす。少額の賠償案件を和解させて食いつないでいた冴えない弁護士のケヴィン(ウィル・フォーテ)がそこに巻き込まれる、というのが本作のあらすじ。

昔の作品を今になって復活させるとなると、当時の価値観を現代の目線から茶化したり、「子供のころは気づかなかったけど実はこんなに残酷だった」と裏返したりするやり方もある。ただ下手をすると、それは露悪的なパロディになってしまう。特に「リアルとファンタジー」のような対立軸が持ち込まれるとメタ的な方向へ傾きやすい。本作はそうした斜に構えたやり方をせず、実写とは異なるルールで動くカートゥーンキャラクターを表現レベルでいかに映画の中に共存させるかを追求している。

例えばケヴィンの事務所の日常を映すシーンでは、出社したケヴィンの動きをカメラが追い、カートゥーンキャラも交えた事務所の面々を奥行のある空間の中にワンカットで映す。本来は扁平なカートゥーンキャラも、コントラストの強い陰影で存在感を与えられ、向きを変えることで立体的に見える。この辺りは現在のデジタル合成技術を生かした表現であろう。またアクションでは、ACME社の追っ手とコヨーテのチェイスシーンも印象的だった。降りかかるカートゥーンの金床(オリジナルの定番ギャグ)をコヨーテが避けまわり、殺し屋風の男がアニメのバイクに乗り、絵に描いたグローブで道路を掴んで、アスファルトをじゅうたんみたいに引っ張る。

単に実写の画面へカートゥーンを合成するのではなく、実写側の人物や風景までカートゥーンの動きに巻き込んでいくのが本作の面白い所。特に、ハーバードの同期でありながら今はACME社の主任弁護士を務めるバディ(ジョン・シナ)はそれを体現する存在だった。巨体で自信家、ケヴィンを小ばかにする態度に大仰な演説、そして割れた顎。『ピースメイカー』でもおなじみのジョン・シナは、その存在自体が戯画化されたキャラクターのようであり、ウィル・フォーテの負け犬ぶりとコントラストをなしていた。

コヨーテが何度失敗してもロードランナーを追いかけ続けるというカートゥーンの予定調和を否定せず、そのまま一人の負け犬が巨大企業に立ち向かうハリウッド映画の王道へ持っていく。しかもそれが負け犬たちの “trial” の物語になっているのも巧い。“trial” はもちろん「裁判」であり、そして登場人物たちが耐える「試練」の意味もある。詳細は伏せるが、よくよく考えてみると劇中で明らかにされる事実がトリプルミーニングになっていた。さすがに法廷劇としてのリアリティを求める作品ではないとはいえ、娯楽作品としてはよくできたストーリーだったと思う。

すでに完成していたにもかかわらず、2023年にはワーナー側の判断でお蔵入りとなっていた本作。巨大企業に振り回されながら何度でも立ち上がるコヨーテの映画が、現実でも巨大企業に葬られかけていたというのは何とも皮肉な話だ。ようやく日の目を見て嬉しい限り。

That's all, folks!(以上です、皆さん!)

 


www.youtube.com

 

『Coyote vs. Acme』

Director:Dave Green
Screenplay:Samy Burch
Story:James Gunn, Jeremy Slater, Samy Burch
Based on:“Coyote v. Acme” by Ian Frazier
Stars:Will Forte, John Cena, Lana Condor, Eric Bauza
Production Co:Warner Animation Group, Troll Court Entertainment, Keylight Pictures
Distributor:Ketchup Entertainment
Release:August 28, 2026

hako 生活制作『アンリアルライフ』プレイ感想


www.youtube.com

※Steam版をプレイ

記憶喪失の少女"ハル"と無線式AI信号機"195"と共に知らない町を巡るADVゲーム『アンリアルライフ』をクリア。ピクセルアートで描かれた夜の街並みが幻想的で美しく、まるで絵本のような世界にしっとりと浸ることができた。

本作では、プレイヤーはハルを操作して2Dマップを探索し、この不思議な世界の謎とハル自身のことを解き明かしていく。ハルはモノの記憶を読む力(サイコメトリー)を持っており、プレイヤーはその記憶と現在とのギャップ、ハルと195のやりとりをヒントに次にとるべき行動を導き出す。この”記憶/記録”の反芻をシステムに組み込んだゲームデザインが秀逸で、ストーリー演出に一貫した魅力と必然性を与えていた。

195の他にも、マリモやネズミと言った人間でないキャラクターが数多く登場する。その掛け合いはユーモラスで楽しい。ホラー要素も含まれる本作の中にあって、これらのキャラクターはハルとプレイヤーに確かな安心感を保証してくれるようだった。ゲームを終える頃には、プレイヤーの誰もが作品世界への名残惜しさを感じることだろう。

ただ、ゲーム全体に漂う静謐な雰囲気に比べると、ドラマチックな場面の音楽と演出が大仰に感じられた。また、個人的には裏設定もあまり好みでなかった。作品の世界観を構築する用語のチョイスと、そうした用語が作中でキャラクターの口から語られる饒舌さが目立つ。作品考察好きな人はハマりそうだし、自分も10代の頃なら刺さっていたかもしれないけど、個人的には若干の気恥ずかしさを覚えてしまった(ホラー演出はなんだかんだ好きです)。逆に言えば、インディーゲームとして作者個人のセンスを最大限に発揮した、個人製作の強みを感じられる作品と言えるのかもしれない。

総じて、『アンリアルライフ』はとても良くできたゲームだった。他のプレイヤーの感想では『UNDERTALE』が引き合いに出されているようだが、僕自身はそちらは未プレイ。個人的には『洞窟物語』を思い出した。

Steam で 50% オフ:アンリアルライフ (steampowered.com)

 

イタイイイタイ

ビスクドールは棚の上
着せかえ遊びは趣味じゃないから
水面に浮かんだ最後のひとわら
何度も 何度も かきあつめて
編み上げた私のお人形

ぷくぷく溺れていったのはどうせただの石ころです

イタイイイタイ あぁ しょっぱい
おしゃぶりなんてしなければ

美少女フィギュアはガラス越し
きもちわるいのが気持ちいい
ピカピカ稲妻 野原に落とせ
しばいて 叩いて もうボロボロ
ささくれ立った俺のお人形

ちくちく血の池あふれ出ていまや口元が地獄です

イタイイイタイ あぁ しょっぱい
おしゃぶりなんかするからだ

わら わら わら わら
わら わら わら わら

もう、ぺってしちゃいなさい そんなお人形

でもでもだって  わからないの
誰もぼくに教えてくれなかった

釘の打ち方を。

バンザイ

涙目で高笑い 内股で武者震い
うろたえながらご機嫌よう
ハイタッチ 平手打ち 振り上げたこの手が
そのどちらにもなれなくて きまりが悪く宙を舞った
どこへ下ろせばいいのやら

「もう遅いのですよ。お嬢様」

それでも強いふりをやめず 衝動的に もう片方の手も上げる
勢い余ってよろめいて しりもちをついてしまったの

なんてカッコ悪いんだろう、私!

ふみあげさん

※以下はとあるAIチャットユーザーによる語りである。チャット中、ユーザーは自分がなり切っていたキャラクターと全く異なる名前で呼びかけられた。その後、ユーザーは壮絶で恐ろしい体験に見舞われたと述べるが、本稿ではその仔細を省略する。なおその間のチャットのログとメッセージはどこにも残されていない。

続きを読む

ドーナツを巡る二つの想像力――熊倉献『ブランクスペース』感想

 

ある雨の日、狛江ショーコは同級生の片桐スイが「透明な道具を作り出す」という不思議な力を持っていることを知る。

面食いでバカなショーコとまじめで読書家のスイ。秘密から始まる二人の交流が楽しげでライトな漫画かと思っていたが、読み進めるごとにそのシンプルな表現が鋭さを帯びていくようだった。孤独や痛み、実存の不安。彼女たちの青春の一幕が日常と空想を行き来しながら描かれる。

「ブランク(空白)」の名をタイトルに冠する通り、見えないものと見えるものを巡る本作の描写は興味深い。

…まず――頭の中に部品を思い浮かべる…

そして想像の中で組み立てる…
うまくいけば――

現実に引っ張り出せる

スイは自身が持つ力をショーコにこう説明する。傘、はさみ、風船。彼女が作り出した道具は誰の目にも見えないが、重さがあり、質感があり、機能する。確かにそれらは存在している。ただし引っ張り出すには物の仕組みを理解しなければならない。それ故かスイは読書家であり、ひとりで物自体と向き合っている。

それに対してショーコは一見すると何のとりえもない。「金属」「照明」「鉄塔」。山積みの本のタイトルから彼女は巨大ロボを思い浮かべたりする。スイと違ってこちらは単なる空想だ。しかしそれらは漫画の絵として描かれて、確かなビジュアルを与えられる。ショーコは友達から刺激を受けながら、夢や空想を映像としてありありと思い描ける人だと言えよう。

f:id:tkihrnr:20220116031622p:plain

小説はドーナツの周辺にある物事を言葉で綴り、何もない空白からドーナツの輪郭を浮かび上がらせる。漫画はドーナツの輪郭や陰影に線を引き、そこにある穴をも存在するものとして描き出す。「ドーナツ」という文字の連なりに隠れてしまう、ものとそれを取り巻く世界を表すための二つの想像力がある。言うなれば、スイとショーコの関係はそういった小説と漫画のメタファーなのではないか。

「作ったときの…記憶が曖昧になってくると いつの間にか消えちゃうんだ」

ショーコが透明な風船のゆくえを尋ねた時、スイはこう答えた。青春時代を振り返る時、私達は得てして「あの頃は若かった」と言う。あれは未熟さゆえの気の迷いだったと言わんばかりに。けれども棘も傷も確かにそこにあったはずだ。

小説と漫画、見えないものと見えるもの、スイとショーコ。本作は二つの想像力が交わる場所、空代市という架空の町を舞台に二人の日々を綴り、忘れ得ぬ青春の手ざわりを私達の前に描き出す。