人が語り出す所に怪異あり――鈴木捧『実話怪談 蜃気楼』
怪談と聞いて、真っ先に「こわいはなし」を思い浮かべる人が多いのではないかと思う。学校の怪談、都市伝説、ホラー映画。それらの中で怪異とは私達に恐怖を与える存在だ。予兆とともに日常に忍び込み、不確かな姿で迫りくる。そして「今あなたのうしろにいるの」。私達はその姿を目撃してひとしきり怖がってみせた後、再び平和な日常へと帰っていく。エンタメとしてのホラーは得てしてそんなフィクションである。
竹書房主催の実話怪談コンペでその頭角を現し、2020年に単著デビューを果たした怪談作家・鈴木捧。氏の二冊目の単著となる新刊『実話怪談 蜃気楼』には、私達がイメージする「こわいはなし」に留まらない怪談が38篇収録されている。
ドラッグストアで見かけた女性への違和感を語る表題作「蜃気楼」。かの大統領は事故で死んだと報じるビデオテープにまつわる記憶「ケネディ」。修学旅行で山道の先に見た「鹿の葬式」や恋人との登山の思い出「富嶽」。収録された怪談は山や自然にまつわる怪談が多いが、都市や郊外の風景、古典的な心霊写真も登場する。怪異は心霊スポットのような特別な場所に現れるのでなく、人が語り出す所に怪異ありといった具合だ。怪談とは、何よりもまず奇妙な体験の語りなのである。
怪異に遭遇した人の心理には大きく興味がある。不可思議を前にして何を感じ、どう心が動いたのか。いつもそれを聴きたいと思っている。
著者は前著『実話怪談 花筐』にこのようなコメントを寄せている。現実における奇妙な体験にはオチも段取りもないのが大半だ。フィクションと違って割り切れないからこそ体験は記憶の奥底に棲みついて、「今思えばあれは何だったのか」とそれを語る当人の人生の一部として語り直される。実話怪談とは言うなれば、人の人生のある期間にまたがったきわめてパーソナルな体験に触れる営みでもある。著者は人々のそうした語りを拾い集めて、飾らない文体でそれらエピソードの数々を書き記す。
そこから浮かび上がってくるものが、著者が本書あとがきで語る怪異の正体にほかならない。フィクションでは運命や必然として、ある意味当然のように謳い上げられている。現実にあるかないかもわからない「それ」の輪郭を逆説的に描き出すアプローチこそが、著者にとって怪談を聴き取り、怪談を語ることなのであろう。実話怪談というジャンルになじみのないホラーファンにこそ本書をおすすめしたい。
おわりに、個人的に印象に残った三篇を挙げたい。
「静寂」
マンションの内見時にT沢さんが体験した不思議な話。家探しはいつだって難しいもので、期待に胸を膨らませながら現地に赴くと意外と部屋が狭くてガッカリしたりする。間取りを見るだけではわからない。そんな何かにT沢さんも気づいてしまう。その筆致がとにかく巧みで、映像がありありと浮かんでくるようだった。ホラーオムニバスTVドラマを思わせる一篇。
「瓶のミミズ」
同級生のイトウくんと「瓶詰めのミミズ」のエピソードをタキタさんが語る。ミミズという生々しいものが真っ先に出てきて意表を突かれるのだが、そこからの先の展開はますますよくわからない。何かつながりがあるようでないようにも思える。少なくとも語り手本人の中ではひとつながりの話になっている。その不吉さだけが残る。
「幽霊相談」
本書の中でもとりわけシンプルな話。電話は未だホラーに欠かせない定番のアイテムであるが、今はむしろLINEのようなメッセージアプリが主流の時代だ。また位置情報サービスやターゲット広告、アプリ間での連動も当たり前となり、ユーザーが関知しきれない領域がますます増えている。幽霊はその狭間に潜んでいるのかもしれない。