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「家族」から離れて息の抜ける場所へと ――ヤン・イクチュン監督作『息もできない』感想

 友人マンシクの下で働くサンフンは借金の取り立てを行う日々を送っていた。一度火が付いたら誰に対しても暴力をとめられない彼は、およそマンシクの手に余る程に粗暴なチンピラだった。そんな彼の人生には子どもの頃のある出来事が影を落としていた。
 ある時サンフンは道端ですれ違った女子高生のヨニと口論になる。ヨニもまたサンフンと同様に家庭に問題を抱えていた。サンフンに対しても強気な態度に出るヨニは、慰謝料をせしめることを口実に半ば強引にサンフンと関わりあうようになり、それを契機に二人の心はゆるやかにひらかれていく。

 英語題の『breathless』は「あえいでいる」「息ができないほどの」の意味。このタイトルの通り、本作ではサンフンとヨニの息苦しさに満ち満ちた現実が映し出される。色あせて薄汚れた街並みに、繰り返される生々しい暴力、底辺に立たされたような人々が多く登場し、アップとカメラの手ブレが画面の圧迫感を強調する。観ていると本当に息のつまる思いになる。他方、ユーモアもあり、優しさもあり、息の抜ける瞬間もあり、映画として豊かでよい作品だった。
 サンフン役のヤン・イクチュン(製作・監督・脚本・編集・主演の五役!)がまたがらの悪いちんぴら役にぴったりな顔つきで、本当にこんなあんちゃん道ばたに歩いていそうと思ったほどだ。ヨニ役のキム・コッピは「なんか頬腫れてない?」といいたくなる顔つきだけど、それも含めてヨニの可愛いけど垢ぬけない感じにはまっている。あとマンシク役のチョン・マンシクは「渡辺いっけいに似てるなー」と思ったが、改めて画像検索したら坂東英二にも似ている気がする。

 話自体は「家族」の呪縛をめぐる物語だ。韓国は儒教を背景にした家族や血縁関係の厳しい国……というのが実際の所どこまでなのかはわからないけど、家庭内暴力や母子家庭の問題等、もはや崩壊していながらそれでも家族として暮らさざるを得ないことの困難が映し出されていた。劇中に健全な家族が登場しないこと、サンフンとヨニの関係が恋愛までいかないこと、最後の中華料理屋の光景が理想的な疑似家族のように見えることからも、単純に家族が再生する話になるのは避けたのかなとも思う。
 ちなみに本作の韓国語の原題は『糞蠅』の意。英語題や日本語題よりもこちらの方が確かに内容には的確だった。

 サンフンの皮肉は、己の生き方とその生業故に暴力に関わらざるをえないことにある。誰に対しても暴力を辞さない彼は取り立て人として優秀だ。怖じ気づいた新入りを容赦なく張り倒し、返済を渋る借主を蹴飛ばし痛めつける。そんな彼にも彼なりにプロとしての仕事のやり方があることが伺えるのだが、かといって取り立ての仕事は彼を幸福にもしなければ、その稼ぎで生活が享楽で彩られることもない。彼は稼いだお金を一方的に妹の家族に与え、残りはパチンコに費やす。彼は始終不機嫌な顔つきで街を歩き回り、捨て鉢のような人生を送ってきたのだ。
 サンフンの凶暴性の原因は幼少期の出来事にある。父の激しい暴力とその結果起きた母の死――彼の脳裏に刻まれたその記憶は、彼につきまとうように繰り返しフラッシュバックされ、劇中でふるわれるあらゆる暴力にイメージを重ねられる。虐待された経験のある人は自分自身が親となった時、かつて親がしたのと同じように自分の子供を虐待をする……とよく言われるが、満足に親の愛を受けなかったサンフンもこれに近いのかもしれない。自身の家族を殴り倒した借主を蹴り飛ばしてサンフンは言う――「人を殴るやつは自分が殴られると思ってない」と。その言葉には借主への、父への、自分への、あらゆるものへの怒りがこめられている。
 サンフンが社会の片隅で生きてきたその一方、ヨニもまた荒んだ家庭環境の下で育ってきた。日がなテレビとにらめっこし、被害妄想を垂れ、家を出て行った妻を生きてると思いこんで怒号をとばす父に、その面倒も見なければ職にも就かずに金をせびる兄。二人の理不尽な振る舞いや暴言に耐えながら、ヨニは二人の世話をしている。さらには学校では目立つ生徒でもなく、親密な交友関係の存在も伺えない。
 登場人物のほとんどがチンピラや貧困層の人々である中、ヨニには学があり、性格も勝気で活力がある。それだけに彼女の境遇はいっそう不遇だ。彼女は若くして未来を潰されつつある人間である。
 それらのこともあってか、サンフンと出会った時点での彼女は厄介な人物として映されていたように思う。通りすがりにツバをかけてきたチンピラのサンフン以上に、ヨニは無茶でやくざな絡み方をしてくる。むろんそれは当然の抗議なのだが、チンピラにも一切怯まないその態度は、場合によってはヒステリックにもとられかねないものだ。サンフンとの対比でヨニの頭のよさと難儀さが現れたよい場面である。

 チンピラのサンフンと高校生のヨニ、二人の間に劇的なことはほとんど起こらない。ただ酒を飲む、おしゃべりをする。お互いにわざわざ深入りはしない。事実、サンフンはヨニの悲惨な家庭環境も知らなければ、ヨニはサンフンの仕事の実情を知らない。サンフンの新しい部下が実はヨニの兄であることすらも二人は知らずにいる。けれどもいつの間にか互いの優しさが引きだされている。サンフンは暴力から足を洗うことを決め、ヨニはサンフンを取り巻く人間関係に欠かせない一人となる。
 片方の話に笑いをこぼす、辛さに堪えかねて身をゆだねる、ただ二人で時間を過ごす。それははじめは傷をなめ合う関係に過ぎないかもしれないが、少なくともぼろくそな人生の中に息をつける場所を彼らはみつけた。自分の存在を認めてくれる他人の存在に気付くことで、世の中に対する寛容さが生まれ、知らぬ間に少しずつサンフンとヨニの周りを変えていったのではないだろうか。
 そのように考えると、実はサンフンがはじめから恵まれた立場にあったことに気づかされる。先輩のマンシクも妹も彼のことを心配しているし、甥もサンフンに心を通わせている。サンフンに憎まれていた父にしても、子どもたちに罪悪感を抱きながらも子どもたちのために立ち直ろうとしていた。サンフンは周りの人から思われていた、ただ彼自身が自分の人生を大事にしなかったのだ。だからこそサンフンの変化は皆、携帯電話を買う、銀行口座をひらく、プレステを買ってやるといった、当たり前のことを行うことで他人に応えるという、ささやかな前進としてあらわされることになるのだろう。
 終盤、物語は誰にとってもおおかた予想通りの展開を迎える。満面の幸せに溢れている訳でもなければ、ヨニの家庭の問題が解決した訳でもない。だがサンフンが作り上げた居場所をヨニは行き来し続けるのだろう。
 取り立てのために屋台を襲う兄のヨンジェを見かけたヨニは、ヨンジェにかつてのサンフンの姿をみる。その時のヨンジェが何を思ったのか。自分にはいまだにわからない。

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