タケイブログ

ほぼ年1更新ブログ。

『別離』についてのメモ書き

1.物語について

・家族を守るために吐いたわずかな嘘。そのために彼らは皆、泥沼に陥っていく。

・ホッジャドを打ち負かし、正しさを証明せねば解決にはならないと思うラデル。娘を守るために示談をもちかけるシミン。ここに男女の違いを感じる。

・利発そうな顔つきのテルメーがよい。おじいさんが倒れていた時の動揺ぶり、父を庇うために嘘を吐いた後の静かな涙、「母さんが戻ってくるっていったのに」と父に向ける怒り。どの場面でも抑えの効いた良い演技をしているように思う。

・「まるで18歳の息子が殺されたみたいに(騒いじゃって)」「また生めばいいじゃない」というシミンの母?の言葉がさりげなく心にひっかかった

・敬虔なイスラム教徒であるラジエーの宗教的な感覚は日本人には理解しにくい。ただ彼女が私達と本質的には変わらないことだけはよく伝わってくる。示談の際にラデルに「コーランに誓ってくれ」と迫られた時、彼女は誓いを立てることができなかった。誓いを立てて示談金を受け取れば、コーランの定める戒律を破り罪を犯したことになる。そうなれば「娘が呪われるかも」しれないからだ。子を心配をする母の気持ちは普遍的なものである。

・父ラデルと母シミンの間や、中流階級の両親と下層階級のラジエー・ホッジャド夫妻の間には数々の断絶が横たわっている。テルメーはそれを目の当たりにしてきた。だから最後に両親のどちらを選んだかは重要ではない。幼いながらも決断したことの方が重要。


2.映像について

・被写体を追う動きとカメラの手ぶれが、時折ドキュメンタリーを彷彿とさせる。だが実際にはすばやくカットを割る場面が多く、緊迫感のある映像が持続する。

・バックミラーや窓越しのカットや、ドア枠や登場人物の後頭部等、遮へい物を挟んだカットが頻出する。見つめられる対象と視線の主、その両者の存在が意識されているように思える。同時にそれは両者間に横たわる断絶をも感じさせる。

・ラデルとラジエー・ホッジャド夫妻が警察(?)に尋問を受けるシーンでは、四者の視線が錯綜する。Aが顔を向ける動作とともにカットが割られ、Bの顔が映る、Bの陳情が終わらぬうちにカットが割られ、Bを見つめるCの姿が映される……といったふうに、カットはめまぐるしく入れ替わる。

・冒頭のロングテイクでは、裁判官(?)に向かって夫婦が並んで座り、こちらに向けて視線を投げかけている。これは本編通してのカット割のこまかさと比べるとかなり長い。さらに終盤、テルメーが裁判官に「父と母のどちらと暮らすのか」と決断をせまられる場面では、冒頭のテイクまでは及ばぬもののやや長めに彼女の姿が映されている。
 もしこのシーンでテルメーの姿が真正面から映されていたのであれば、冒頭の夫婦のシーンと対応すると言ってもよさそう。だが残念ながら覚えていない。やや回り込んだ位置から映されていたような気がする。

・冒頭では裁判官の視点で夫婦が映されているために、裁判官の姿は登場しない。また終盤では一瞬裁判官が映るものの、その後は声のみとなり姿が映らなくなる。カメラは裁判官の視点を借りて、神の視点を映し出している……単なる思いつきに過ぎないが、そんな気がした。法に始まって法に終わり、両親に始まって娘に終わる。

・裁判所の廊下に立ちつくす夫婦にEDロールが被せられる。夫婦は互い違いに並び、その視線は交わらない。