タケイブログ

ほぼ年1更新ブログ。

ジャッキー・チェンは優しすぎる――『ライジング・ドラゴン』感想


 以前、アテネフランセ文化センターで開催された「映画の授業」。その講義で講師を担当していた塩田明彦氏は、確か次のようなことを話していたと思う。

ブルース・リーが革命的だったのは、通常の肉弾戦がありふれていた中、彼のハイキックが「いかに高く飛べるか」を追求したものだったからだ。その後、ジャッキー・チェンが現れる。彼は「いかに高い所から落ちるか」を追求した」

 詳細はうろ覚えだし、自分はジャッキー映画に親しくないので、諸々間違いがあるかもしれない。ただその観点からいえば、今作『ライジング・ドラゴン』のラストのスカイダイビングは、ジャッキー流「落ちる」アクションの究極形のように思える。ジャッキー自ら「最後のアクション映画出演作だ」と謳う本作には実に相応しいシチュエーションである。

 そもそも今作には多様なアクションのスタイルが多い。たとえば映画冒頭の、「地を這う」アクションは個性的だ。両手足にローラーのついた特殊スーツを着込んだジャッキーが、銃撃やバイク・車での追撃を交わしながら道路を駆け抜けていく。格闘戦で見せる体裁きとバイクアクションのスピード感はもちろんのこと、むき出しの人体が危険なチェイスを繰り広げるので緊迫感もある。
 またフランス庭園の迷路内での犬とのチェイスも楽しい。迷路の中を逃げまどい、追い詰められたかと思えば、パラグライダーで壁を乗り越えて緊急回避する。ジャッキーのコミカルな魅力が伝わってくる一場面だ。他にも、建物を昇り、屋根を伝う軽やかな身のこなしや、小物による格闘戦等も健在である。
 制限された環境下で、ジャッキーが四苦八苦しながら活躍する。本作のすべてはそのような状況を導入するためにあるといっていい。なので、スパイもの特有の荒唐無稽さで済まされない突っ込み所がストーリーに見られるが、それはご愛敬というものだろう。

 問題はスカイダイビングの結末だ。苦闘の末、ジャッキーは火山の火口に廃棄されかけた龍の首像を回収する。だがもはやパラシュートはない。そこでジャッキーは激突寸前、スーツに仕組まれた特殊なエアバックを展開する。 
 そして地面に激突。彼は火山のふもとを転がり落ちる。岩だらけの斜面に体が何度もぶつかって、これでもかといわんばかりに彼は痛めつけられる。やっと倒れ込んだ先、ジャッキーは満身創痍の体を立ち上らせ、よろめきながら、充血した目で中空を見つめる。

 この場面に、自分は『グラントリノ』を連想した。イーストウッドは映画の中、彼の過去の作品を連想させるシチュエーションにその身をおき、自らを殺した。今作のジャッキーもまた、彼の代表的なアクションの果てに自らを死に追いやるのである。
 しかしジャッキーの場合、彼が演じるJCは生還するし、当然実際の彼も死なない。それどころか、エンドロールで観客に感謝の気持ちを語って見せるのだ。

 陰惨さもなければ流血もない、誰も傷つかない映画で自分だけを痛めつける。しかしそれすらも徹底することなく、ふたたび自らを甦らせてしまう。ジャッキー・チェンは優しすぎる。観客を放り投げるようなイーストウッドの態度もどうかと思うが、これはこれでどうなんだろう、と。そう思わざるを得なかった。