タケイブログ

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距離を測り合う人びと――『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』第二話感想

「生まれ変わったら、熊になりたい」

 生物のレポートでなぜか群れたがる人びとへの批判を展開した挙句、そのように書きつける。奉仕部に入部してなお比企谷八幡は相変らずだ。
 昼休み、雨天により憩いの場である屋上が使えず、八幡は仕方なく教室で昼食をとっていた。そんな時、由比ヶ浜結衣が彼女の属するグループのトップ・三浦優美子とトラブッているのを目撃してしまう。
 一方その頃、奉仕部の部室では第二の依頼者が待ち構えていた。

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 主人公の周囲の人間関係がすべてではない。奉仕部の面々以外にもまた別のグループがれっきとして存在し、彼らもまた人間味を備えた存在であるのだ、と。
 第二話は私達にそう感じさせる。その要因は各登場人物が個性的だからではなく、むしろ彼らの言動が控えめだからではないだろうか。

 結衣は人に自分を合わせてしまいがちで、ものを言おうにもいつも言葉尻が濁ってしまう。そのために仲良くなった雪乃と昼休みを過ごそうにも、普段属しているグループから一時的に離脱することができない。グループのトップ・三浦優美子を苛立たせてしまったのだ。その場に居合わせた八幡は傍観者的立場に徹する。いや一度は立ち上るのだが、へたれなので結局何もできない。そこに雪乃が登場、雪乃は三浦優美子と対峙し、その横暴さに対して皮肉交じりの正論を展開する。

 一般に、キャラクター同士が衝突する時、和解か対立かの別はともあれ、しばしば彼等の関係は何らかの方向に変化していく。誇張された性格をもつ彼らの言動は劇的であるために、彼らは物理的・心理的な距離を軽々と飛び越えて、お互いの核心に迫っていくからだ。
 その点については、最近では『さくら荘のペットな彼女』が分かりやすいだろう。彼らは常にオーバーアクションで感情のふれ幅も大きい。赤坂や仁が正論を吐けば、空太は激昂し、あるいは黙り込む。そして次に誰かにけしかけられるまでふさぎこむ。また、ましろは空太が何度突っ込んでもマイペースにボケ続ける一方、七海は空太との何気ないやりとりの中で大袈裟にうろたえる。キャラクター性の高さとは、多分に反応の強さや明快さであることを示す一例だ。
 ところが『俺ガイル』の場合、(現時点ではまだ)そのような反射的な言動のラリーはほとんどない。そもそも結衣を除けば、彼らは物理的に近づこうとも遠ざかろうともしていない。自分の立っている場所から移動しないのだ。かくして互いの関係に決定打が踏まれることはなく、教室内は気まずい空気で満ちたままとなる。

 だがその代わりに、各人のささやかな行動が際立つことになる。リア充グループは雪乃と優美子のやり取りにうろたえることなく割って入る一方、結衣と優美子に口を挟まない気遣いも見せる。優美子もまた「好きにすれば?」と、悪態とも言い切れない態度でその場を収めるのだ。八幡が委縮してしまったことにしても、そうした空気を読んだからにほかならない。
 教室という空間には様々なグループがひしめいている。その中では誰もが皆、互いの関係を計り合いながら接している。これらの描写は、誰もが他人の青春の書き割ではないのだという事実を如実に指し示す。ましてや八幡が嫌悪するような「敵」などではないのだろう。

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 後半に登場する依頼者・材木座義輝に関しては、あまり言うことがないというのが正直な所(エピソード自体は楽しんだのだけど)
 一応、上記の観点からいえば中二病で大袈裟な言動をとる彼は、最もキャラクター性の高い存在であるよう見える。ただ彼がいくら暴走してもその行動は誰にも劇的な反応を起こさないし、彼自身もまた変化したわけではない。
 その意味では彼らの間には心理的な距離感は健在だし、彼が今後出てくるならぜひ、リア充グループともやり取りをさせてほしい所である。