タケイブログ

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カメラが世界に投げ込まれる時――『リヴァイアサン』感想

漁船が舞台のドキュメンタリーである本作がいささか特殊なのは、何よりもその「不明瞭」さにある。

映画は暗闇からやってくる。軋み、さざめき、泡立つようにいくつかの音が鳴り、時折何かが映り込んでは消えていく。やがて粒子の荒い画面に、錆びついた鎖の赤銅色や濡れて光る作業服の橙色が現われる。ものの姿形が次第に明らかになっていき、私達はようやくそれが夜の遠洋に浮かぶ漁船なのだと気づくことになる。

ナレーションや人々の会話もなく、漁師の生活や何らかの社会問題が浮き彫りになることもない。ある意味ではドキュメンタリーとしても本作は「不明瞭」だといえる。とはいえ退屈さはなく、その映像一つ一つが私達の意識に飛び込んでくるかのように鮮烈だ。

たとえば鎖か何かに固定されたカメラが海面と海中を行き来するものもあれば、固定カメラで船室を映したものもある。しかし最も特殊なのは水揚げされた魚が船に揺られるカットであろう。甲板に横たわる無数の魚がずずずとカメラに迫り、視界を黒く塗りつぶす。しばらくして遠ざかったかと思えばまた近づいてきて、以後その動きが繰り返される。

一見すると地味なこの映像が新鮮なのは、カメラが被写体への接近や衝突をものともしていないからだ。状況全体を客観視するロングショットに被写体の細部に注視するズームアップ。ドキュメンタリーのカメラは撮影者の「はっきり見たい」という欲望を反映し、常に被写体との間に適切な距離をおきたがる。ところが本作のカメラは人の手を離れ、無造作に世界へと投げ込まれる。

暗闇も海面も人間の皮膚も、人の営みや大自然の風景さえも。恐れを知らないその「目」は物事を区別なくあるがままに映し出す。それは言うなれば赤ん坊が見る世界のような、意味と秩序が生まれる前の混沌にほかならない。

ラスト、映画は海鳥を映して再び暗闇に帰る。途中海面から仰いだ彼等の姿は、ここではふわりと夜を舞う小さな光の粒だ。その不確かさこそが世界である。人間の視点から解き放たれて、私達はその躍動を目の当たりにする。


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