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【ネタバレあり】「絆」に繋がれた日本のグロテスクな似姿――ジョーダン・ピール監督『Us/アス』評

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『Us/アス』の成功と映画作家ジョーダン・ピールの躍進

監督デビュー作『ゲット・アウト(2017)』で低予算のオリジナル作品ながら大ヒットを飛ばし、アカデミー脚本賞を受賞したジョーダン・ピール。現在アメリカで公開中の彼の最新作『Us/アス』が前作以上の興行成績を収めています。3月22日公開から 4月1日現在までにアメリカ国内興行収入は100万ドルを超えており、アメリカの映画批評サイトRotten Tomatoでも94パーセントの支持率を収める等、オリジナル作品としては異例のヒットです。

ジョーダン・ピールアフリカ系アメリカ人の父親とイギリス系白人の母親を持つハーフであり、同じくコメディアンのキーガン=マイケル・キーとコンビで冠番組を持つ等、コメディアンとして確かなキャリアを持っています。そんな彼の前作『ゲットアウト』は人種差別をテーマに据えた社会風刺的なスリラーであり、その出自が色濃く感じられる一作でした。そして新作『Us/アス』もまた、「現政権下のアメリカから着想を得た」と監督本人が述べる通り、コメディホラーでありながらも政治的要素を多分に含んだ作品に仕上がっていました。

本稿では、ピールがドッペルゲンガーというモチーフを通して『Us/アス』に描き出したものをネタバレありで語っていきます。

"The Tethered" - 肉を持ったドッペルゲンガー

夏のバカンスをのんびりと過ごすため、子供二人を連れてサンタクルーズのビーチを訪れたアデレイドと夫のゲイブ。ある晩、彼らが宿泊するアデレイドの幼少期の生家に赤いつなぎを着た四人組が現れる。一家を襲った四人組は、一家のそれぞれと全く同じ姿をした「私たち」だった。

この「自分と瓜二つの分身が襲ってくる」というプロットについて、ピールは彼が幼い頃から抱いていたドッペルゲンガーへの恐怖が元にあるとインタビューで述べています。

ドッペルゲンガーとは、ある場所に存在する人が離れた別の場所で目撃されるという超常現象を指す言葉です。「Doppel (二重) 」と「 Gänger (歩く人)」というドイツ語に由来し、自分のドッペルゲンガーを見たものは死ぬという言い伝えがあります。映画においても、古くは『サイコ(1960)』、近年ではドゥニ・ヴィルヌーヴ『複製された男(2014)』、邦画では黒沢清ドッペルゲンガー(2003)』などドッペルゲンガーをモチーフにした作品は枚挙にいとまがありません。その描かれ方も、霊的存在や幻影、あるいは単なる他人の空似など様々です。

映画評論家の町山智浩氏は『複製された男』の解説にて、ドッペルゲンガーがしばしば主人公の願望や不安のメタファーとして扱われることを指摘しています。


町山智浩の映画ムダ話『複製された男』サンプル

それでは『Us/アス』におけるドッペルゲンガー、"The Tethered"と呼ばれるものたちはどうでしょうか。実のところ、彼らはそうした象徴的な側面をほとんど持ち合わせていません。

それが顕著に表れているのが、娘のゾラとその分身”アンブラ”の対決シーンです。ゾラは陸上をやっているのですが、その設定はストーリー上ほとんど意味を持たない。アンブラはただゾラに襲い掛かるばかりであり、ドッペルゲンガーを通して物語られるゾラのバックストーリー自体がそこに存在しない(もっともこれにはアデレイドが主役であることも関わっているのですが)

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その代わりに強調されるのが、"The Tethered"たちの不完全さや、あるいは非人間的な側面です。たとえば、アデレイドの分身”レッド”の目を大きく見開いた表情に、けいれん性発声障害という実在の障害に取材したという、喉の奥底から声を絞り出すような独特の喋り方。ルピタ・ニョンゴによる二役はその表情としゃべり方で極端なまでに演じ分けられています。長男ジェイソンの分身もまた同様です。猿のように駆け回り、マスクの下には火傷を負っている。まともな言葉を話さず群れのように行動する”The Tethered”は、愉快なウィルソン一家と対置されてますますモンスターのごとく私たちの前に立ち現れることになる。

"The Tethered"とは撃退すべき怪物であっても 、一人ひとりが克服すべきトラウマのメタファーなど”ではない”。ただただグロテスクな自分の似姿と対峙し続ける生理的嫌悪感。それこそが『Us/アス』の映画全体を支配するトーンであり、それはそのまま本作のテーマへと連なっています。

Hands Across America からトランプに連なる理想と楽観

一家が対峙するドッペルゲンガー、"The Tethered"とはいったい何者なのか。その問いに対する”レッド”の答えは、 "We are Americans."というものでした。この場面は、本作の笑いどころでもあると同時におぞましい真実でもあります。結論から言ってしまえば、彼らはアメリカの暗部のメタファーです。

ただし彼らが象徴するものは、貧困や格差といった具体的な問題に留まるものではない。それを読み解く鍵となるのが、アメリカにかつて実在したチャリティプロジェクト”Hands Across America”です。

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"Hands Across America"は1986年に、"We are the world"を企画したテレビ番組プロデューサーKen Kragenを仕掛け人に行われました。毎週末の決まった時刻に人々が集まり、横並びになって手をつなぐ。人々がつくった列でアメリカ大陸を横断しようというもので、手をつなぐための”場所”代とグッズの売り上げがアフリカの貧しい人々に寄付されました。そのスローガンを意訳するなら「アメリカよ、手をつなごう」といった所でしょうか。

当然のことですが、4000キロ以上もあるアメリカ大陸には砂漠のような荒地もあるわけで、実際のところ列の間隙はロープで埋められていた箇所もあったようです。またその盛り上がりに比べると寄付金の総額も芳しくなく、最終的に集まった約34万ドルのうち、実際の寄付に回ったのは運営コストを差し引いた15万ドル程度であったといいます。

このように数々の疑問点を残したHands Across Americaの成否に冠して、仕掛け人であるKen Kragenは以下のようにコメントしています。

"Nothing like this had been tried before, and I think that's what made it so great," 「こうした運動は過去に試みられたことがなく、だからこそとても素晴らしいものなんだ」

確かにプロジェクトが一定の成果を上げたことは事実でしょう。やらない善よりやる偽善、人々の意識を高めることもまた慈善運動の価値です。それでも貧困を救う運動が、その成果ではなく運動の”Great”さをもって振り返られるというのは、いささか楽天的でデリカシーを欠いた発言だとはいえないでしょうか。

『Us/アス』では、Hands Across Americaが"The Tethered"によりグロテスクな形でこの現代に再演されます。

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ところで"Hands Across America"が行われた1986年、アメリカはロナルド・レーガン政権下にありました。

1981年から1989年の間、大統領を務めたレーガンは、「強いアメリカ」の復活を図ってソ連との間で軍拡競争を繰り広げました。その結果、冷戦終結への道筋を立てたことが評価されています。その一方で、規制緩和社会福祉費の削減による「レーガノミクス」は所得格差を拡大し、財政と貿易の双方で赤字をもたらしました。また彼が大統領選挙演説で掲げた"Make America Great Again."のスローガンが、2016年アメリカ大統領選でドナルド・トランプに引用されたことは記憶に新しいかと思います。

これらの時代背景を踏まえれば、"The Tethered"のリーダー"レッド"の先の答えがレーガンからの引用であることはほぼ間違いありません。


Ronald Reagan We Are Americans

多様な人種や文化を擁する民主主義国家アメリカをThe United Statesたらしめるもの。それは人々を団結させ、動員しうるほどに力強い理想主義にほかなりません。しかしその理想主義の裏側では、現実の困難が解決されぬまま見過ごされている。リーマンショック以降の格差拡大、蔓延するイスラモフォビア。非現実的な政策を次々と打ち出すトランプ政権下、その混乱はますます深まっていくばかりである。レーガンやトランプが掲げた"Make America Great Again."という理想主義と、Ken Kragenが"Hands Across America"を"Great"と自己評価した楽観主義。その二つは表裏一体、互いが互いのドッペルゲンガーをなしています。

民主主義の根幹は不揃いの個人であり、そのプロセスは絶え間ない調整の連続である。その意識を欠いた理想はただの楽観と化し、そして個々の魂を欠いた団結は、疎外された者たちとの間にさらなる分断を生み出していく。『Us/アス』が"Hands Across America"とドッペルゲンガーというモチーフから描き出したのは、アメリカという国が患う理想主義的楽観主義の病なのです。

「絆」に繋がれた日本の私たち

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ともすればこの種のメッセージは空疎に響いてしまうものですが、あくまでそれを具体的な映像イメージとして提示し、ホラーの居心地の悪さそのままに魅せたことに、ジョーダン・ピール映画作家としての卓越した手腕があります。

『Us/アス』の日本公開はまだ先のことですが、日本の観客は本作をどのように受け止めるでしょうか。アメリカのことはアメリカに。本作を単なる娯楽作として楽しむこともできるでしょう。しかしそこに描かれるアメリカの姿は決して私たちと無縁ではありません。なぜなら日本社会もまた、「絆」という同じ病理を抱えているからです。

漫画やアニメにJ-POP、あるいは災害の復興運動のスローガン。「絆」という言葉は「人の人との精神的な結びつき」の意味合いで、現代日本の至る所に用いられています。時の為政者もまた、自身の外交成果を幾度となく「絆」という言葉で表現してきました。

首相「日米同盟の絆、大きな資産」 米議員団と面会 - 産経ニュース

しかしながら「絆」の本来の意味は「動物を繋ぎとめておく綱」であり、「絆(ほだ)される」という言葉があるようにそのニュアンスはネガティブなものです。またそのような情緒的な連帯は同調圧力を生み、しいては「日本を、取り戻す」といったスローガンに表されるような、国粋主義へとスライドしうる危うさを秘めている。「絆」の氾濫とは、いわば日本における"Hands Across America"であり、"Make America Great Again."の発露と言えます。そのことに果たしてどれだけの日本人が気づいているでしょうか。

最後に、"The Tethered"とは地下よりやってきた「縛られた者たち」であり、その名前は英語の動詞tether(繋ぐ)に由来します。tetherは元々は名詞であり、その意味は「動物をつなぎとめておくロープ・鎖」「限界」です。私たちをつなぎ留め、あるいは束縛するものを自覚するために。私たちは『Us/アス』の描き出す自身のグロテスクな似姿と真っ向から対峙しなければなりません。


US Super Bowl Trailer (2019) Horror Movie HD

『Us』 Directors:Jordan Peele Stars: Lupita Nyong'o, Winston Duke, Shahadi Wright Joseph, Evan Alex Production Co:Monkey Pow Production

Images and quotes are cited from below: https://www.imdb.com/title/tt6857112/?ref_=nv_sr_1 https://calendar.songfacts.com/may/25/17694 https://www.latimes.com/visuals/framework/la-me-fw-archives-hands-across-america-2-20170906-story.html

挑戦者を見届ける視点――Jimmy Chin&Elizabeth Chai Vasarhelyi『Free Solo』評

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体を張った撮影が生み出すスペクタクル

命綱や安全具を一切身に着けずに行うクライミング「フリーソロ」。その無謀にも思える挑戦を続けるクライマーのアレックス・オノルドを追ったドキュメンタリー。

本ドキュメンタリーでアレックスが挑むのは、カリフォルニア州ヨセミテ国立公園にある3000フィート級花崗岩エル・キャピタン。ロッククライミングの名所として名高いこの巨岩に彼は2017年に挑戦し、3時間56分の記録で登頂を達成しました。その偉業に至るまでの彼の足跡を本作はカメラに収めています。

近年映像機材の進化はめざましく、ドキュメンタリーにGoProカメラやドローン撮影が多用されるようになって久しいですが、驚くべきことに本作にそれらの機材は用いられていません。というのも巨岩をのぞき込む角度からアレックスをとらえたキービジュアルにはじまり、本作の映像は撮影班がアレックス同様に岩肌に登って撮ったものなのです。 命綱をつけているといえ体を張った撮影に変わりなく、その結果スペクタクルな映像の数々が生まれています。

それらが評価されてのことか、本作は第91回アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門を受賞しました。しかしそれだけではない。『Free Solo』はドキュメンタリーを物語る監督の手腕も感じられる確かな一作でした。

そこに山があるからなんだ

Mallory lives on in the following brilliantly eloquent quotes.
BECAUSE IT’S THERE… EVEREST IS THE HIGHEST MOUNTAIN IN THE WORLD, AND NO MAN HAS REACHED ITS SUMMIT. ITS EXISTENCE IS A CHALLENGE. THE ANSWER IS INSTINCTIVE, A PART, I SUPPOSE, OF MAN’S DESIRE TO CONQUER THE UNIVERSE.”

“Because It’s There” The Quotable George Mallory

エベレストに三度挑戦した登山家ジョージ・マロリー。彼は1924年の第三回エベレスト遠征で行方不明となり、それから75年経った1999年に遺体で発見されました。その彼が遺したとされるこの言葉は日本では「なぜ山に登るのか――そこに山があるからだ」として伝わっています。彼が本当にそんな発言を遺したのかは怪しいようですが、いずれにせよ命の危険を伴う挑戦に人が惹きつけられる理由の一端を示した名言には違いありません。

本作のアレックスはといえば、フリーソロを「戦士(a warriar)」であることになぞらえています。眼前のクライミングに集中し、壁を乗り越えた先にある達成感や自己の存在。そうしたものを追い求める彼の目は大きく、まるで現世のはるか向こうを見ているかのよう。

とはいえ当然それらはその場の思い切りで得られるものでない。映画はエル・キャピタン登頂に向けた彼のたゆまぬ試行錯誤を追っていきます。 

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命綱つきで実際にクライミングをしてみて、岩肌のわずかな凹凸から掴める場所や足場を見つけていく。ここを左手で掴み、左足で体を支えつつ、向こうに右手を大きく伸ばしてよじ登り……。登頂を可能にし得るルートをアレックスは探索し続ける。鍛錬も欠かさず、体の動かし方をノートに書き留めては反芻する。クライミングの際は滑り止めのため指先につける粉、岩肌に残るその白い跡はそのまま彼のきた道と行くべき道を示している。時期を逃せば気候が変わり登頂が遅れてしまう。だからこそアレックスは日々全身全霊、そして本番では文字通り命を懸ける。

そんな彼の目に映る風景に僕らは思いを馳せることはできても、理解することなど到底できようもない。そこに山があるからなんだってんだ。こっちはクライミングどころか紐ありバンジーすら二の足を踏むような臆病者だというのに。

挑戦はシェアできない。それでも見届ける

そんなふうにアレックスの努力と偉業に驚かされる一方、僕らはその姿をありふれた「挑戦者」として受け流すことにも慣れている。前述のマロリーはまさに「挑戦者」の代表格ですし、ワールドトレードセンターで綱渡りをした大道芸人フィリップ・プティなども有名です。命を懸けた挑戦に魅了された人々を物語る術を僕らはよく知っています。

「アレックスのようなのは命知らずの馬鹿。すごいっちゃすごいけど僕には関係のない他人事だね」 

しかしながら挑戦者に共感しない観客であればあるほど、アレックスの周囲で彼を支える人々にむしろ興味を持つのではないでしょうか。

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 「のぼってきたよ」という事後報告は聞いても、彼の登頂予定は質問すらしない彼の母親。どれだけ親密でも本番には立ち会わなかった彼の恋人。自分の人生の一部にアレックスのような人間を抱えるというのは一体どれほどのことなのだろう。また監督や撮影班の姿も印象的です。彼らはアレックスと綿密にコミュニケーションをとりながら、その挑戦をフィルムに収めるプランを立てていく。アレックス同様に彼らもまた命の危険を冒していますが、究極的にはカメラを向けることしかできない。地上から撮影していたクルーの一人がカメラから目を逸らしたのも無理のないことでしょう。

挑戦というものは本質的にパーソナルなものであり、どれだけ密なコミュニケーションを重ねても乗り越えがたい断絶は依然として存在する。『Free Solo』が立っているのは、そうした事実を受け入れてなお挑戦者を見届けようとする人々の視点にほかなりません。

馬鹿とスマホとドキュメンタリー

映画のラストでは登頂を成し遂げたアレックスが山頂から恋人に電話をかける。彼の前で涙を見せなかった恋人がこの時スマホ越しに嗚咽を漏らします。それは隔たりを超えて人々を繋ぎとめるメディア本来の価値が露わになる瞬間でした。

インスタ映え」という言葉が話題になったように、SNSにアップロードする写真や映像を求めて過激な撮影を行う人は後を絶たず、そのために命を落とした人も少なくありません。そしてそのニュースをまたSNSでシェアして馬鹿にする。それくらい僕らはSNS越しに刺激と承認をシェアすることに慣れ切ってしまっている。そんな何もかもがインスタントにシェアされる時代だからこそ、共有困難なものを伝えるメディアの価値もまた高まっているように思います。その一方で、スマホカメラに始まりGoProカメラやドローン撮影と、テクノロジーが撮ることとシェアすることの敷居を今後ますます下げていくことでしょう。

そうした昨今の映像環境を受けて、メディアとしてのドキュメンタリーが何を伝えるのか。最新機材の利便性に頼らない本作『Free Solo』の撮影はその答えの一つなんだと思います。 

 
Free Solo - Trailer | National Geographic 

 

『Free Solo』
Directors:Jimmy Chin, Elizabeth Chai Vasarhelyi
Stars:Alex Honnold, Sanni McCandless, Tommy Caldwell, Jimmy Chin
Production Co:Itinerant Films, Little Monster Films, National Geographic
(c)2015-2019 National Geographic Partners, LLC.

Images and quotes are cited from below:
https://www.nationalgeographic.com/films/free-solo/

https://www.imdb.com/title/tt7775622/?ref_=fn_al_tt_1 

https://blog.theclymb.com/out-there/because-its-there-the-quotable-george-mallory/

2018年鑑賞映画総括

皆様いかがお過ごしでしょうか。年一更新ブログです。

2018年は何と言ってもMCU危機の年、サノス猛襲、ジェームズ・ガン降板、スタン・リー逝去、さらには若おかみの正体はヴェノム等々、何かと話題に事欠かない一年でした。そんなインターネットの盛り上がりを横目にしつつ、僕自身はと言えば日々に忙殺されてました。はい。

今年は邦画の当たり年だったようですが海外暮らしの都合どうにもならず。『万引き家族』『孤狼の血』『怒り』『若おかみは小学生』『リズと青い鳥』どれも見たかった。また洋画で『ファースト・マン』を見逃したのが痛かったです。

それはさておき毎年恒例映画ベスト記事ですよ。過去分はこちら↓

2017年映画鑑賞総括 - タケイブログ
2016年映画鑑賞総括 - タケイブログ
2015年鑑賞映画総括 - タケイブログ
2014年鑑賞映画総括 - タケイブログ
2013年鑑賞映画総括 - タケイブログ
2012年鑑賞映画総括 - タケイブログ


■映画鑑賞本数&総合ベスト10

新作:37本
旧作:13本
合計:50本

新作週一で見たいと言っときながらこのざま。そして2018年個人ベストは以下の通り。

1. カメラを止めるな!
2. へレディタリー/継承 (Hereditary)
3. フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法 (The Florida Project)
4. ア・ゴースト・ストーリー (A Ghost Story)
5. インクレディブル・ファミリー (Incredibles 2)
6. First Reformed
7. アナイアレイション -全滅領域- (Annihilation)
8. Upgrade
9. アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング (I Feel Pretty)
10. アントマン&ワスプ (Ant-Man and the Wasp)


■各作品へのコメント

● 1. 『カメラを止めるな!

年の瀬にようやく見れました。事前情報から本作を「映画愛を全面に押し出した映画」だと思い込んでいたのですが、実際にはそんなまる出しの作家主義ではない、一回勝負の映画制作にアートとエンターテイメントとプロフェッショナリズムを詰め込んだ万人が楽しめる映画でした。

やれ脚本に穴がある、あの俳優を出せ、なんか面白くない。観客はいつだって無茶をいう。現場の苦労も知らないくせに。とはいえ作り手側も作り手。「愛があれば粗くて仕方ないよね!」「ここは見逃してくださいね!」と、低予算や自主制作の立場に甘んじた作品も少なくない。いいやそうじゃないだろう。一回こっきりの映画制作なんだ。その困難も奇跡も丸々ひっくるめて皆で撮りあげてやろうぜ。本作からはそんなプロの気概が画面に満ち溢れていて頼もしい。

あの37分ワンカット映像だけでも賞賛ものですが、そこで終わらせなかったのが見事ですよね。一見奇をてらった構成に見えて、あれがなければただの映画ファン向け映画で終わっていた。より普遍的なものづくりのドラマにフォーカスしたからこそ、本作は誰もが楽しめる娯楽作品と映画賛歌を両立できたのだと思います。

見ている間とにかく楽しかったし、不思議とまた見たくなる映画。ぜひ皆さんも見に行ってください。


● 2. 『へレディタリー/継承 (Hereditary)』

ジャンル映画がしばしば先鋭化か陳腐化の二極化しがちである中、本作は古典的な演出表現を完璧とも言える出来で継承した大変見応えあるホラーでした。

女家長の死後、ある一家に降りかかる恐怖と暗い秘密。屋敷と狂気と謎と謎という映画の大枠、名作の引用がクラシックなホラーを思わせる。『ローズマリーの赤ちゃん』との類似点が指摘されていましたが、個人的にはキューブリック版『シャイニング』を思い出しました。とりわけ母親役のトニ・コレットが凄まじく、抑えた演技も吹っ切れた演技のどちらもやばかった。

またJホラーの影響が大きく、居心地の悪い正面構図と人の輪郭も隠れてしまう暗闇が印象的でした。視界の片隅を通り過ぎる影がそれらしいなと思っていたのですが、目が潰された息子の写真がそのまんま『女優霊』のオマージュであるのは人に言われるまで気づきませんでした。

前半の不気味な演出に比べると終盤には飛躍した所があり、そこで本作の評価が変わってくると思います。神を冒涜する者どもに抱く恐怖というのは、非キリスト圏を生きる観客にとって理解し難いもの。それでも理解を超えた展開に背筋がゾクゾクしました。いやはや怖かったです。


● 3.『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法 (The Florida Project)』

ロードサイドに立ち並ぶ安っぽいパステルカラー、駐車場を駆け回る子供達、モーテルに住まう親子の日々を綴る本作は、日本でいえば団地ノスタルジーに近い部分もあるといえ、リーマンショックを背景にした貧困があるという点で決定的な断絶があります。

彼らのモーテルは言わばロードサイド貧乏長屋。駐車場が中庭がわりで住人達が互いを何となく見知っている。気づけばいつの間にか誰かがいなくなっている。その風景が子どもたちにとっては世界のすべてであり、つばの飛ばしっこだとかイタズラだとか物乞いだとか、そんなものを楽しみながら日々をどうにか生きている。彼らの思い描ける一番遠くがディズニーランドであることが切なくて、だからこそそんな現実をひとっとびするラストが鮮烈でした。映画の魔法というものはまさに本作のためにある言葉だなと。

またウィレム・デフォーが演じるモーテルの管理人がいい味出してました。厄介な住民にも厳格に対応しなければならないでしょうに、結局主人公親子をズルズル手助けしてしまう。社会システムの不備を人間が埋めるのは本来あってはならないことですが、実際世界はそうした優しさやお節介に救われているのでしょう。だからこそ“Have a good day!”という彼の何気ない挨拶が印象的でした。そういう一言を大事にしたいものです。


●4.『ア・ゴースト・ストーリー (A Ghost Story)』

事故で命を落とした男が幽霊となり恋人と住んだ家を見守り続ける。幽霊が出るといえ本作はホラー映画ではないのですが、死後の時間が全編通して独特の演出で映されており、そこにそら恐ろしさと一抹の物寂しさがありました。

本作を最も特徴づけるのは正方形の画面。通常映画のスクリーンは横長で、上手から下手を意識した画づくりが行われる。進行方向が主人公の感情を表し、その反対には敵対者が配置される等、感情や人間関係が構図に表されます。劇映画特有のダイナミズムとはイベントの契機から生まれ、横長の画面がその出入りを促すものとしてある。ところが本作ではその余白が切り落とされている。それにより強調されるのは心霊写真にも似た無時間的な感覚ではないでしょうか。

たとえば恋人の死後延々と飯をかき込む女のシーンでは、被写体の変化が長回しと奥行で映されていた。その一方で、白い布の幽霊は恋人が去った後、変化する風景の中を変わることなく留まり続けていた。別の一家が移り住み、家が取り壊され、高層ビルが建てられる、その後も、その前も……。被写体そのものが持つ時間の流れをとらえると同時に、断片的で主観的な時間を映像の中に成立させること。一見矛盾するその時間感覚を映像化するために、本作では正方形の画面が選ばれているのだと思います。

私たちは何故この映画に惹きつけられるのか。その問いに答えるとすれば、私たちの生きる時間がまさにそのようなものだから、としか言いようのない気がします。劇映画のようにエンディングはない、連綿と続いているようで、気づかぬうちに風景は少しずつ変わっていく。僕達もまた記憶の残滓の間に漂う名前のない幽霊なのかもしれません。


● 5. 『インクレディブル・ファミリー (Incredibles 2)』

縦横無尽な能力バトルにレトロなガジェット、キャラの表情からドタバタまで。進化したCG表現が目に楽しい本作はとにかくアクションコメディとして最高の出来で、最後まで画面を食い入るように見つめてました。とりわけ今作のヴィランであるスクリーンスレイバーがクールでした。メディア越しにスーパーヒーローに挑戦状をふっかける劇場型犯罪者で、よくよく考えるとMCUにはなかったタイプの悪役の気がします。

スクリーンスレイバーはスーパーヒーローを憎んでるのですが、彼らを特別視しているという点において、スーパーヒーロー愛をこじらせた前作のヴィラン・シンドロームと全く同じなんですよね。彼らが囚われているのはスーパーヒーローという強大な個が力をふるう世界観。しかしながらそれはインクレディブル一家のボブ自身が囚われていたものでもある。だからこそ本作は彼が主夫業を通じて“スーパー”の意味を見つめ直す話となる訳です。メディア=ソーシャルロールの増幅装置を通じて、スーパーヒーロー映画とファミリー映画の接点を作っているのが見事なものです。

とはいえ社会的に“スーパー”であることを諦めろというのではなく、互いをサポートし合うことで彼らは再びヒーローとして返り咲きます。完璧でないからこそチームワークと分業アクションで困難に立ち向かう。作中に確固たるアンサーは出ていませんが、ディズニーとピクサーなりに新時代のヒーローを模索している様子が本作からうかがえました。


● 6. 『First Reformed』

最初は『ビューティフル・デイ』をここに入れようと思っていましたが、映画の凄みが記憶に残っているのに感想メモすら残しておらず、何を書いて良いのか全く検討つかない。それで延々と唸っていた時に浮かんできたのが本作でした。

息子の死と相談者の死を受けて、牧師が信仰のダークサイドに落ちていく。スタンダードサイズ画面にフィックス構図、会話中心に進んでいく映画で、全体に静かに張り詰めた空気がある。個人的に面白いなと思ったのが、その中心に置かれているのがイーサン・ホークであるという点。「そこまで賢くはないけどいい人」役が多いというのが僕のイーサン・ホークに対する印象で、ぶっちゃけて言えばちょっと馬鹿っぽく見える映画俳優だなと。そのせいか禁欲的な宗教世界と映像の中、彼の姿が異様な存在感を放って見えたんですよね。重圧や懊悩に耐えきれず憎悪のマグマを煮えたぎらせ、次第にマズイ深みに落ちていく。そんな牧師の役柄がむしろはまっていました。

なお本作を見たのは偶然で、後から監督のポール・シュレイダーは『タクシー・ドライバー』の脚本の人だと知りました。納得です。


● 7. 『アナイアレイション -全滅領域- (Annihilation)』

一時帰国時のフライトで眠い目をこすりながら見ました。やや展開の起伏に欠けるもののビジュアルが美しく奇想に富んでいる。全編インスタレーションのような作品でした。人型木とか助けて熊とか大変良かった。

とりわけ印象的だったのは、変身でも変異でもない「変容」を描いていた点かなあと。内部から変化し別のものになりかわっていく恐怖、あの世界の一部になれるならそれでも構わないかもという諦念。環境の影響とはいえ変化は内なるものであり、抵抗しようのないところが恐ろしいです。またウイルス等で自分が化け物になっていく話、外部の侵略者に街ごと洗脳されるような話ではなく、浸み出した世界の変化が広がっていくのもツボでした。というか設定的にもまんまストーカーやソラリスですね。

ところで個人的にはジョジョ5部のチャリオッツ・レクイエムを真っ先に思い出したのですが、よくよく考えたら諸星大二郎がしっくりきますね。


● 8. 『Upgrade』

名作娯楽映画の理想的続編である『ザ・プレデター』か、稀有な劇場体験のできる『クワイエット・プレイス』か。その二つで悩んでいた所に頭に浮かんできたのが本作。低予算の小品ながらも良くできていて、ジャンル映画のお手本のような作品であったと思います。

妻を殺され自身も半身不随となった男が人工知能Stemにより再起動、体に埋め込まれたお節介AIと往く復讐劇。全体としては古風なアクション映画ながらSF描写が節々に散りばめられ、演出に小技が効いている。また作品の印象を大きく変えるツイストがある所はアダム・ヴィンガード『ザ・ゲスト』を彷彿とさせました。

古臭いガレージが併設されたハイテク邸宅、警察ドローンが飛び回るホームレス集落、Stemの存在を意識させるカメラワークといった、近未来SF感を出す工夫の数々。限られたリソースの中で粛々と行われるプロの仕事が大変好印象な映画です。

ちなみに主演のローガン・マーシャル=グリーンですが、youtube上のトレイラーに”DISCOUNT TOM HARDY”とコメントつけられてました。いや思っちゃったけどさ。


● 9.『アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング (I Feel Pretty)』

突然ですが僕はコウペンちゃんこと肯定ペンギン(コレ)がどうにも苦手です。「日々のつつましやかな事柄を」「純粋無垢な可愛い存在に」褒めてもらう、それにより「可愛いもの好きな自分を演出」するという何もかもが燗に障る。というか「えらーい!」って何様なんだお前は。その雑で無責任な褒め方をやめろ。

アレの「自分自身を褒めてやる」ことの大切さは認めつつも、自分の存在を肯定することとはまた別の話だと思うんですよね。そうした視点から見ると、本作に描かれていたのは社会との関わりにおける自己肯定であったように思います。

社会的な美や若さのプレッシャーに萎縮することなく、自発的に美(自分らしさ)を追い求める。周囲から怪訝に思われようと「なりたい自分」を楽しむことで、自分と周囲の世界が変わっていく。本作が面白いのは、「私はなんて美しいの!」という主人公の思い込みが(少なくともストーリー上は)完全なる思い込みに過ぎないこと。彼女の主観からどう見えるかも一切示されなくて、「無根拠な自信も大事だよ」というのを地でやっているんです。

そのうちに実際主人公が魅力的に見えてくるのが映画のパワー。無論そこにはエイミー・シューマーのコメディエンヌとしての表現力、ストーリーテリングと演出の力があるでしょう。その点で本作もまたファンタジーにすぎません。しかしそれは信じるに足るファンタジーではないかなと。そんなことを思いました。


● 10.『アントマン&ワスプ』

ヒーローものを見ているとしばしば忘れがちなことですが、正義の味方、悪の断罪者、超人、あるいは命の恩人、ヒーローとはそんな大仰なものではない。ただそこにいることもまた彼らの役目であり、変わることなくそこに立っているその姿に救われる人だっている。そう考えるならアントマンが本作では孤軍奮闘するヴィランと戦い、さらにアベンジャーズ次作の鍵となるのも必然だと思います。

アントマンというよりスコットと彼を取り巻く世界こそが、インフィニティ・ウォーを経た私たちにとっては失われた希望である。サノスの独善的な正義とそれに揺るがされた多様な正義のあり方。それに立ち向かえるのは特別なパワーではなく、当たり前のようにそこにいるという普通さではないか。

そもそもスコットはヒーローとしての自分に何の気負いもないんですよね。スーパーパワーを持たない彼はいつだって誰かに助けられている。博士たちのスーツを借り、警備会社の面々の力を借り、娘の笑顔に勇気付けられて、ようやく不恰好なアクションを繰り広げる。スーパーヒーローというにはあまりにも普通すぎる人々であるし、単体で見れば本作は普通のファミリー映画でしかない。

それでも正義も悪も消え去り、文字通り多くを失った世界において、彼らの普通さはいっそう輝いて見えるのです。


以上、2018年ベスト映画でした。改めてラインナップを見返すと、私的な感情や体験に強く食い込んでくる映画が今年は少なかった気がします。その代わりプロの仕事やポジティブなメッセージ性のある映画に評価が偏っているかなあと。

他、選外作品としては、『ビューティフル・デイ』『クワイエット・プレイス』『ザ・プレデター』『スリー・ビルボード』『オー ルーシー!』『デッドプール2』。旧作映画で良かったのは『新感染/ファイナル・エクスプレス』『ロストバケーション』『アンフレンデッド』『ハードコア』『エミリー・ローズ』『ババドック』。どれも面白い映画ですよ。

それでは皆様、良いお年を。

不名誉な笑い声とアメフトボール――ジェームズ・フランコ『ザ・ディザスター・アーティスト』評

 若きグレッグが演劇学校で出会ったのは、大胆な演技と妙なアクセントが異彩を放つトミー・ウィソー。意気投合した二人はLAへと飛び出し共に俳優の道を志す。悪名高きカルト映画『ザ・ルーム』の舞台裏を描く本作は、笑いと気まずさ、一抹の悲哀が入り混じる友情ドラマだった。

 役者としても監督としてもトミーはボンクラだ。不要なセットを一から組み立てさせ、キャストやスタッフに水やトイレも用意せず、セックスシーンは彼の尻丸出しで挿入してるように見えない、彼自身の出演シーンは何十回もミステイク。実に悲惨な現場。現実なら関わりたくない手合いだが、そこは監督兼主演であるジェームズ・フランコの手腕なのだろう、一つのキャラクターとして面白可笑しく演じられており彼をどうにも憎みきれない。

 だからこそ、彼の無茶に振り回されながらも堅実にキャリアを積んでいくグレッグに肩入れせざるを得ない。その上彼は愚かにもトミーのため自らチャンスをふいにしてしまうのだ。果てに訪れる二人の決別は、『ザ・ルーム』のワンシーンと重ね合わせられており実に痛ましい。名監督よろしく大言壮語を重ねるトミーに、「カメラの前だ。君こそリアルを話せ!」とグレッグが投げつけるアメフトボール。トミーは一瞬本心を垣間見せながらも答えをはぐらかす。かくして彼らの友情は終わりを告げる。

 ところが、二人が旧知の親友というのは全くのフィクションなのである。この脚色のねらいは明らかで、すなわち映画がその後勝ち得る評価や批評的視点を物語に織り込む仕掛けにほかならない。『ザ・ルーム』の奇跡とは、何だかんだで映画が完成し公開までこぎついてしまったこと。その混沌から一筋のドラマをすくい出すべく、本作はトミーを傍らで見つめ続ける存在としてグレッグを置いた。そして彼の視点はそのまま観客がこの映画を見つめる視点でもあるのだ。

 制作が頓挫した作品は映画史に数あれど、一人の男の稚拙な妄想が形をなして世に出回り、衆目に晒され、散々な評価を受けながら、結局は愛されるまでに至る。それは最早一つの感動的な出来事ではないか。試写場に沸く不名誉な笑い声。それでもトミーとグレッグ、二人が浮かべる笑顔は穏やかだ。

The Disaster Artist: My Life Inside The Room, the Greatest Bad Movie Ever Made

The Disaster Artist: My Life Inside The Room, the Greatest Bad Movie Ever Made

2017年鑑賞映画総括

どうも年1更新ブログです。皆様2017年いかがでしたか。
今年もやります。毎年恒例映画ベスト記事ですよ。

過去分はこちら↓
2016年映画鑑賞総括 - タケイブログ
2015年鑑賞映画総括 - タケイブログ
2014年鑑賞映画総括 - タケイブログ
2013年鑑賞映画総括 - タケイブログ
2012年鑑賞映画総括 - タケイブログ

■映画鑑賞本数&総合ベスト10

新作:53本
旧作:6本
合計:59本

年120本は見ていた数年前と比べて数がすっかり少なくなりましたが、それでも週一ペースで見てると思えばまあ良い方なんだと思う。

2016年からカナダに滞在している身の上ですが、こちらの映画視聴環境そのものは悪くありません。シネコン名画座もあるのでハリウッド大作はもちろんミニシアター系も見る機会があります(トロント映画祭もありますし)。何より一本10カナダドル(現レートで約900円)前後、一番安くて5カナダドルで観れるのがありがたい。

ただ邦画に関しては、特集上映でもない限りまったく見るチャンスがありません。今年はAmazonビデオで『貞子VS伽倻子』『クリーピー 偽りの隣人』、一時帰国時に機内で『君の名は。』(アニメの方です)を見たくらい。邦画の良い評判をいろいろ聞いているだけにその点は少しだけ残念です。

さて今回も評価基準ごった煮で新作ベスト10を以下の通り選出しました。

1. ワンダー・ウーマン (Wonder Woman)
2. ザ・ディザスター・アーティスト (The Disaster Artist)
3. シンクロナイズド・モンスター (Colossal)
4. スパイダーマン・ホームカミング (Spider-Man: Homecoming)
5. IT/イット それが見えたら、終わり。 (IT)
6. LOGAN/ローガン (LOGAN)
7. ザ・フォーリナー (The Foreigner)
8. スプリット (Split)
9. SING/シング (SING)
10. ライフ (LIFE)

■各作品へのコメント

●1. 『ワンダー・ウーマン (Wonder Woman)』

絵画のようなスローモーションにやりすぎなくらいパワフルなアクション、神話の英雄のごとき彼女の活躍を目の当たりにして思い至る。『ワンダーウーマン』が目指したのはスーパーヒーロー映画のルネサンス、悲惨な現実を戦い抜かねばならない僕達に道を示す存在として、ヒーローを描き直した映画なのだと。

個人的にぐっと来たシーンが二つある。一つは少女ダイアナが母の言いつけに背いてアマゾネスの訓練の真似事をするくだり。崖から飛び降りたのをすんでの所で救われた時、彼女は泣いたり怯えたりせず笑顔を見せる。戦士への憧れと己の力を信じて疑わない、その真っ直ぐさがまぶしかった。もう一つはダイアナが露店でアイスを食べるシーン。その味に"Wonderful!"と感動した彼女が "You should be proud!!"とアイスクリーム屋を誉める。路傍の人に向けられたわずか数秒の敬意に、ああ僕達が忘れているのは己を誇ることなんだと気づかされた。

ダイアナにあるのは「人が人らしく幸せに生きること」への揺るぎない信頼であり、本作ではそんな彼女の目から戦時下の矛盾が照らし出されていく。そして人の命と尊厳が理不尽に奪い去られる戦場の前線でついに彼女が立ち上がる。このワンシーンが最高にカッコいいんです。誰もが止めろ、現実的ではないという。けど彼女には力があり、進むべき道も見えている。そんな時、あなた達は立ち上がることができるのかと。そんな問いを突きつけられたように感じました。

正直これらのシーンがなければ「クソ真面目な映画だなあ」で終わっていたでしょう。しかしながらここ数年、ヒーローものが扱う「正義」は何ら特別なものでなく日常のさまざまな場面で起こるものだという実感を抱いています。僕自身のそうした思いと映画の盛り上がりが奇跡的に一致して、今回ヒーローものではじめてボロボロと泣いてしまいました。

とにもかくにも人間賛歌。今年のベスト1映画です。

●2. 『ザ・ディザスター・アーティスト (The Disaster Artist)』

悪名高きカルト映画『ザ・ルーム』を撮り上げた男トミー・ウィソー。その協力者グレッグ・セステロの伝記をジェームズ・フランコ監督主演で映像化した本作。笑いと気まずさと悲哀の入り混じった2017年の締めにふさわしい一本でした。

不要なセットを一から組み立てさせ、キャストやスタッフに水やトイレも用意せず、セックスシーンはトミーの尻丸出しで挿入してるように見えない、彼の出演シーンは何十回もミステイク……。当然スタッフとは対立し、グレッグとの溝も深まるばかり。そんな悲惨な現場が面白可笑しく描かれている。素性も年齢も不明、妙なアクセントで喋るトミー。彼が「なんだかやばいやつ」なのは観客の目には明らかなのですが、若いグレッグは惚れ込んでしまうし、その後も彼を見捨てることができない。実際トミーにはなぜか行動力と金だけはあるから事はどんどん進んでいく。

何よりすごいのはここまでグダグダな『ザ・ルーム』が何だかんだ公開までこぎついてしまったこと。制作が頓挫した作品は映画史に数あれど、一人の男の稚拙な妄想が形をなして世に出回り、衆目に晒され散々な評価を受けながら結局は愛されるまでに至る。そうそうお目にかかることのできないもので、それ自体一つの感動的な出来事ではないかと。

実は本作には重要な設定に嘘があるのですが、それはこういった『ザ・ルーム』への批評的視点を映画に織り込むための仕掛けなんですよね。カルト映画の混沌から一筋のドラマを見出した本作。お見事です。

●3. 『シンクロナイズド・モンスター(Colossal)』

「大いなる力には大いなる責任が伴う」

スパイダーマン(2002)』でベンおじさんがピーター・パーカーに遺した言葉。彼のこの一言が導きとなり、突如手に入れたパワーに浮かれていたピーター・パーカーはやがて人々を助けるスーパーヒーローへと成長を遂げました。ヒーローもののエッセンスが凝縮された、個人的にも好きなセリフの一つです。

その一方で別の疑問も浮かびます。ならば力を持たぬものは責任をとらなくてよいのか?卑小な私達がとるべき責任もそれ相応にちっぽけなものなのか?

もちろん答えは否。どんな人間も逃れられない重責がある――己の人生に対する責任です。人生のツケはいつだってついて回り、時に耐え難い重みをもって今の自分にのしかかる。それに耐えきれなくなった時、人は周囲を巻き込み被害を及ぼすモンスターと化す。だからこそ身の丈というものは常に自覚しなければならない。

本作『シンクロナイズド・モンスター』の原題は”Colossal(非常に大きな)”。colossalが巨大怪獣を表しているのは言うまでもありませんが、同時にそこには怪獣を“非常に”大きいと感じる、ちっぽけな人間達がいる。この巨大怪獣と卑小人間の対比こそが本作の見所であり、およそ短編向きと思えるアイデアに痛快さと不穏さと一抹のやりきれなさを与えているのです。

●4. 『スパイダーマン:ホームカミング (Spider-Man:Homecoming)』

でもやっぱり若いうちは元気無邪気、むやみやたらに飛び跳ね回っていて欲しい。そう思ってしまうのは大人のわがままなんでしょうか。そんな視点から見た時、『スパイダーマン:ホームカミング』は本当に気持ちのよい映画。トリッキーで軽快なアクションと後腐れのない展開が爽快でした。

先に述べた通り、サム・ライミスパイダーマンが三部作通して描いたのは「力を持つものの責任」という正統派ヒーローものであり、そこには「大人にならねば」という規範意識があった。また『アメイジングスパイダーマン』二部作は今思えば、過渡期としての青春を描こうとしていたように思います。そしてLOGAN、デッドプール、GotGと、マーベルが多彩なアプローチでスーパーヒーロー映画の枠を押し広げている現状、今作でスパイディの描かれ方が変わったのもまた必然なんだと思います。

本作冒頭、スパイディが撮影したシビルウォーの舞台裏映像に顕著ですが、ピーター・パーカーの根っこはやはり若者なんですよね。重苦しい葛藤や鬱屈は未だ抱えず、ただアベンジャーズに素朴な憧れを示すティーンエイジャー。周囲の大人がどんな期待を寄せようが、今後のシリーズを通してピーターはピーターなりの成功と失敗を重ねるのでしょう。だってそれこそが若さなんですから。

5. 『IT/イット それが見えたら、終わり。』

少年達の一夏の冒険を描いたジュブナイルでありながら諸々の描写がエグく、全体を通して邪悪な雰囲気が付きまとう。見世物精神と豊かさを兼ね備えるホラー娯楽作。

何よりもまず”It”ことペニー・ワイズが素晴らしい。恐怖演出が心霊寄りか物理寄りか、そのバランスがホラー映画の難しい部分ですが、今作では冒頭から彼の物理的な側面をはっきり示してるんですよね(「あ、ここまでやるんだ」とびっくりしました)。その上で、子供騙しめいたグロから映像メディア越しの精神攻撃まで、多彩で茶目っ気のある驚かし方をしてくる。人の心への挑戦者=悪魔でありながらも実体をもって迫りくる怪物。この二つを両立させるのはなかなか難しいのではないかと思います。

さらに本作では少年少女の家庭事情や街の歴史といったものが、ある意味ペニー・ワイズ以上にえげつなく描かれているんです。恐怖は外からやってくるのでなく、私たちの内側から滲み出て少しずつ堆積していく。汚水とともに流すことのできない恐怖の化身がペニー・ワイズなんだと。こうした形のない忌まわしさを本作は映像一つ一つで語っていました。

見る前はあまり期待してなかったのですが、思ってた以上に味わい深い映画。

●6. 『LOGAN/ローガン

荒野と車とおっさんと、そして少女と。Xメンシリーズの華々しさ皆無な血まみれロードムービー

ヒュー・ジャックマンの同役引退が話題の本作だけど、それ以上に今作が銀幕デビューとなるダフネ・キーンが気迫と魅力に満ちていましたね。R指定×少女の格闘戦の絵面もエグくて、敵の間を飛び跳ね叫び回る戦い方はウルヴァリン以上に獣らしかった。もちろん不死でなくなったウルヴァリン=ローガンの剥き身の戦いぶりも凄まじく、作品全体に漂う老いのイメージとの対比でその痛ましさが際立っていました。

老いたエグゼビア教授が住むボロ小屋や最早ミュータントのいない世界という設定。それらに象徴されるように、本作がこの十数年でマーベルが広げてきたスーパーヒーロー映画の可能性、その極北にある作品なのは間違いないでしょう。スピンオフの締めくくりとしても大変素晴らしい出来でした。

ついでに敵役のボイド・ホルブルックブラッド・ピットライアン・ゴズリングのあいのこみたいな顔……というのはさておき、敵部隊のリーダー格ながら強すぎず残虐すぎない、ちょっと出来るゴロツキといった具合のキャラクターが素敵でした。もっと活躍してくれてもよかったのに。

●7. 『ザ・フォーリナー (The Foreigner)』

「老い」にまつわる映画といえばもう一つ、今年はこれがありました。

娘のため奮闘する親父という点がリーアム・ニーソン『96時間』シリーズを彷彿とさせる一方、爆弾魔を探すべく対テロ組織を粘着的につけ回すという若干ズレた展開には「私刑」の印象が甚だしい。個人的にはヒュー・ジャックマンの『プリズナーズ』を思い出しました。さすがにジャッキーの演技にヒュー・ジャックマンのような凄みはないのですが、役柄には十二分に応えるもので、彼の無表情でみすぼらしい顔や痛がる姿がとても印象的でした。

さらに演技過剰でないことにより、ジャッキーならではの軽業アクションと荒唐無稽な展開が無理なく映画に馴染んでいる。「ジャッキーの新境地!」という評判に惹かれて本作を見ましたが、映画そのものは背伸びし過ぎずB級映画の枠で面白いものを作っているんですよ。そこがとても好印象でした。やや暗いトーンながらも後腐れなく楽しめるし、土台となるクライムサスペンス要素も割としっかりしていて見応えのある映画です。

あときわめて個人的な話ですが、僕の父親がジャッキーと同じ63歳なんですよね。両親や同世代の見回せば生老病死が視野に入ってくる、そんな年齢に僕自身がなってしまった訳ですが……ジャッキーがあれだけ動き回って新しいことにチャレンジしてるんだ。そう思えば少し元気もでますし、両親にも引き続き健康でいてもらいたいものです。

●8. 『スプリット (Split) 』

毎年映画ベスト記事は大まかな順位だけ決めて順不同で書いており、実はこの感想を最後に書いています。この映画のどこが良かったかなあ……と机に向かいながら考えているのですが、思い返してみれば本作『スプリット』が実は今年一番ワクワクした映画だったような気がします。

本記事で僕が挙げた他の作品は「あるべき姿を全うした映画」だと思っていて、作品のテーマなり世界なりワンアイデアなりを高い出来で実現しています。その一方、本作のあるべき姿というのは意外と見えてこない。昨年の『ヴィジット』しかり一斉を風靡した『シックス・センス』しかり、シャマラン自身はテクニカルな映画づくりをする監督であるにもかかわらず、です。これはまったく悪い意味でなく、アンバランスで先が読めないからこそ個々のシーンに鋭い面白さがあるということ(今作は特にマカヴォイの存在が大きい)。そして分断された人格が統合されていくようにラストに向けてそれらが着実にまとめ上げられていく。そこにあったのは、言うなれば週刊連載漫画や1クールアニメのようなワクワク感だったのかなあと。

ちなみに本作では過去作『アンブレイカブル』とのつながりが示され、これらと世界観を共有する新作『GLASS』の制作が発表されています。M・ナイト・シャマラン、奇想に満ちた監督であると同時にまとめるのも上手い監督だと思うので「シャマラン・ユニバース」の今後には大いに期待しています。

●9. 『SING/シング

イルミネーション・エンターテイメントの前作『ペット』では、3DCGで描かれた動物たちの動きがあまりに忙しなく正直辟易したのですが、今作は筋立てから見せ方まで全体としてはオーソドックスなつくりで、見ていてとても気持ちの良い映画でした。コアラになってもマコノヒーは男臭いし、タロン・エガートンのゴリラは思いの外美声だし、スカーレット・ヨハンソンヤマアラシは服装込みで可愛いかった。懐かしの名曲にのせて動物達がステージで歌い踊る姿はシンプルに楽しい。

その一方で世知辛さを感じる描写も節々にあり、それらが良いスパイスになっていました。自分の時間を作るためにブタ母がつくった自動家事育児マシーン、精肉工場めいててブラックです。

●10. 『ライフ (LIFE)』

最後は佳作枠。”Happy Death Day”とどちらにしようか迷いましたが、クリーチャー造形好きなんでこっちを入れました。

宇宙ステーション内で巻き起こる宇宙生物の暴走。まんま『エイリアン』の2017年版って感じですが、船内外の空間や宇宙生物の造形、無重力表現がアクションにしっかり落とし込まれているあたり良かったです。特に宇宙生物Calvinのデザインが秀逸で、宇宙船=無重力空間の密室に適応した生物としてみると大変説得力のある挙動だと思いました。ゴキブリポジションの肉食生物が宇宙にいたらこんな感じになるだろうなあと。

あとは映画冒頭、船内移動シーンの疑似ワンカット映像が『ゼロ・グラビティ』以後の映画だなあとか、相変わらずジェイク・ギレンホールかっこいいなあとか、真田博之の英語ってこんなに日本語訛りだったっけとか、Calvin刺身にしたら美味そうとか。思ったのはそんな所です。正直いえば目新しさも残るものもない作品ではあるのですが、映画としてよく出来ていて、見てる間はとても楽しかったです。

以上、2017年ベストでした。選外となったのは以下の通り。

『It comes at night』『Stronger』『ヒットマンズ・ボディーガード(Hitman’s Bodyguard)』『ダンケルク(Dunkirk)』『ドリーム(Hidden Figures)』『セールスマン(The Salesman)』『Happy Death Day』

それでは皆様、良いお年を。

2016年映画鑑賞総括

邦画の話題作が多かった2016年。諸事情により残念ながらその波に乗れませんでした。でもやりますよ、今年の映画ベスト発表です。

過去分はこちら↓

2015年鑑賞映画総括 - タケイブログ
2014年鑑賞映画総括 - タケイブログ
2013年鑑賞映画総括 - タケイブログ
2012年鑑賞映画総括 - タケイブログ

■映画鑑賞本数&総合ベスト10

新作:51本
旧作:6本
合計:57本

2015年の141本からがくっと減ったのは主に環境の変化が原因で、実は今年4月末からトロントに滞在しております。さすが国際映画祭が行われる街だけあって映画へのアクセス環境は悪くないのですが、字幕なしで映画を観るにはまだまだ英語力不足。何より自分自身いろいろと忙しかったというのが正直なところです。

それはさておき、今回も新作から評価基準ごった煮でベスト10を選出しました。

1. 『オデッセイ』
2. 『火の山のマリア』
3. 『ドント・ブリーズ
4. 『ラ・ラ・ランド
5. 『ブレア・ウィッチ』
6. 『死霊館 エンフィールド事件』
7. 『メッセージ』
8. 『マジカル・ガール』
9. 『ズートピア
10. 『手裏剣戦隊ニンニンジャーVS烈車戦隊トッキュウジャー THE MOVIE 忍者・イン・ワンダーランド』

■各作品へのコメント
●1. 『オデッセイ』

課題解決、メッセージ、契約――『オデッセイ』にまつわる私信
本作への思いは、上の記事でほぼ語り尽くしてますが、もう少しだけ補足しておきます。

僕は2015年のベストに『セッション』を挙げ、そこにある「決闘」の精神を称賛しました。合意の下に行われる戦いは、たとえバカげたものであれ崇高さを帯び、人の精神に成長をもたらすものとなる。「決闘」とはたがいに結んだ契約を果し合うことにほかならず、それは裏返って個の肯定、人間賛歌となるのだという趣旨の記事です。

僕は『オデッセイ』をそれらの先にあるものとして受け取りました。ただ一人、火星にとり残された男は無事生還できるのか――イエス。己の生存を疑わず、手を伸ばして助けを求めることによって。そして他者もまた手を差し伸べることで、はじめて救出ミッションは軌道に乗り始めます。本作が描くのは「火星VS人類」の決闘であり、また私達が暗黙のうちに結んだ「共に生き延びましょう」という社会契約が履行されるプロセス、その理想的なかたちなのです。

僕にとって本作は環境が大きく変わったこの一年間を予告し、総決算する映画となりました。
多くの人に助けられて、いま自分はここに立っていると実感しています。

●2. 『火の山のマリア』

コーヒー農園の貧しい小作人一家の一人娘マリア。彼女は地主との婚約に納得しておらず、アメリカ行きを夢見る若者ペペとの駆け落ちに期待を寄せていた。しかしペペは一人逃亡し、さらに残されたマリアはペペの子を身ごもっていた。現代を生きるマヤ族の一家を描くグアテマラ映画。

堕胎から蛇退治に至るまで、彼らの生活には迷信や呪術的な慣習が根付いていて、それが貧困と搾取、アメリカへの幻想といったものと隣り合っている。マヤ語しか話せず学もないマリアは、外の世界に憧れながらもそれらにすがるしかない。結局、彼女は生まれ落ちた土地で一生を終えるのであろう。土着文化と文明の境目にある悲劇を本作は描いていました。

火山とともにあるマリアたちの生活が神秘的に、味わい深く撮られているのがまた何ともやり切れませんでした。諦念とも芯の強さともつかないマリアの表情が何とも美しいです。

●3. 『ドント・ブリーズ

未だに英語の聞き取りは苦手なので、ジジイの背景をきちんと理解できていないのが正直な所なんですが、それでも終始ヒリヒリとした緊張感でいっぱいでした。

何といってもビンビン伝わるジジイのヤバさ。侵入者がいるとわかった途端、盲目ゆえの探り探りな動きから一転して殺しにかかるその挙動、一つ一つに迷いがないのがまた恐い。それでもやっぱり盲目なので、侵入者が難を逃れるチャンスもたびたび訪れる訳です。仮に敵がモンスターか何かだった場合、いちから説明や組み立てが必要な部分が多く、ここまで切り詰めた内容にはならなかったと思います。敵のアドバンテージとディスアドバンテージが明快で、それらが展開にきちんと練り込まれているのが大変素晴らしかったです。

もう一つ印象的なのが舞台となったデトロイトの風景。泥棒女が命からがらジジイの屋敷から抜け出した所で、うら寂しいあの街並みはどこまでも続いている。言ってみればジジイの家なんてその一つでしかなく、どこに何が住んでいるかもわからないような場所なわけです。そして結局、彼女の追い込まれた先がオンボロ車であったことは何だかとても象徴的だと思いました。

私事ですが、こっちでお知り合いになった方が現在デトロイトに滞在中だそうで。どうか生き延びてください。

●4. 『ラ・ラ・ランド

冒頭から「え、このロケーションでミュージカルやんの?」って驚かされたし、頭の中にあったミュージカルのカメラワークをぶち壊してきてがっと心を掴まれました。ジャズピアニストと女優志望、夢を追う二人の切なくも多幸感に溢れるラブストーリー。

次々とモブが歌い踊り出すようなことは意外となくて、二人の世界がしっとりとロマンチックに、それでいて極まった画づくりと色づかいで描かれている。特に日没のロスの空の下で踊るライアン・ゴズリングエマ・ストーンは素晴らしいの一言。最初からお互いに表現力マックスでぶつかっていかず、探り探り距離を縮めていく不器用さ。曲も歌声の映えるシンプルなものが多いのが好印象です。

ダミアン・チャゼル監督が『セッション』で見せた一点集中の過激さは、今作では映画全体に分散してしまった感は確かにあります。それでも「こうきたか!」という場面がいくつもあり、理屈を飛び越えていく瞬間が心地のよい映画でした。ただただ最高です。

●5. 『ブレア・ウィッチ』

タイトルが示す通り『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の正統な続編ですが、ストーリー自体には大きな変化や進展は特にありません。過去作から大きく変わったのは時代をとりまく映像環境。本作ではスマホや高解像度カメラ、ドローン撮影といったさまざまな映像機材が使われています。

ところが進歩した機材が森から暗闇を追い出し、魔女伝説の秘密を明らかにするのかというと……否なんですよね。機材のモビリティはむしろその物理的な限界をあらわにし、それをカバーしていたマルチな視点も一つずつ剥ぎ取られる、最後は残されたカメラで暗闇をわずかな光で駆け抜けていくことになる。POVホラーの限界を押し広げるよりもむしろ原初の闇へと返っていくような作品でした。

今年のホラーだと『ライト/オフ』が80〜90年代ホラーのモチーフを借りたポップな作品だったと思いますが、本作はがっつり映像と演出で勝負していました。いやはや面白かったです。

●6. 『死霊館 エンフィールド事件』

映像と演出で勝負するホラーも好きなんですが、特撮好きの身としてはクリーチャーデザイン、特に「怪人」的なものが大好物。その点で今作は見応えがありました。

ゾーイトロープ(回すと静止画が動いて見えるおもちゃ)、修道女の絵画、昔ながらのアナログテレビ、媒体を通じてやってくる怪異にはけれん味があって、ワクワクしながら見ることができました。家族ドラマも手堅く作られているし、主要な怪現象三つがどう結びつくのか先が読めないのも良かったです(単に英語が理解できてなかっただけかもしれませんが)

それともう一点、プロフェッショナルが怪奇現象の謎に迫るホラーミステリーである点もポイント高いです。ドラマで言えばXファイル怪奇大作戦。このジャンルで最近目立った作品がなかったので、前作とスピンオフに続けて本作が作られたことは思いの外嬉しく思いました。

●7. 『メッセージ』

宇宙船が地球各所に降り立ち混乱の最中にある世界で、言語学者が宇宙人の言語解析に挑む。ドゥニ・ヴィルヌーヴが監督を手掛けるファーストコンタクトSF。ローキーな画面と水中のようなこもった音響の中、映画はじわじわと展開していくので若干忍耐は必要かもしれません。それでも画面一つ一つが美しく、展開にも繊細な抑揚があります。着実にブレイクスルーを重ねて宇宙人のことばを理解していくプロセスには素朴な感動がありました。

本作の中心にあるのは「言語=認識」というアイデア。SF的に目新しくはありませんが、海外滞在中で、なおかつ英語を勉強中の身としてはそれなりに思う所がありました。英文法を学校で一通り習っただけでは、実際にそれをどう運用すればいいかってわからないんですよね。いつ、どこで、どんな感覚でその表現を使うのか。冠詞って、関係代名詞って、いったい何なのか。実際にネイティブ環境で日々を過ごし、言語にじっくり向き合うことではじめて、自分の中に英語的なものの考え方が根付き始める。

その積み重ねがふと自分の抱える漠然とした思いをクリアにしてくれる瞬間があるんです。相手のものの考え方を受け入れた時、自分の内的世界に変化が訪れる。本作に仕掛けられたちょっとしたトリックはそんな感覚をとらえたもののように思います。

●8. 『マジカル・ガール』

「病気の娘のため父親が罪を犯す」というあらすじは作り方次第でどんなジャンルにも転び得る。しかし本作は大胆にも、一人の人間を取り巻く状況の転変ではなく、場面ごとに主役を代えて脅迫関係の連鎖を描いていました。それでいて一人一人の中心にある動機をはっきりと描いておらず、映画は静かに進行していく。そのただならぬ不穏さに最後まで引き込まれました。

台詞も少なく、語られない過去も多いのに、彼らの現状だけはありありと伝わってくる。直接的には描かれない暴力が想像力を掻き立てる。省略と余白の使い方が実に巧みで、コマ割りの上手い漫画を思わせる映画でした。

●9. 『ズートピア

本作がポリティカル・コレクトネスといった現代の文脈を織り込みつつ、いかに多様な観客に向けて作られているか。それは皆さん既に語っている所だと思います。面白くてわかりやすく、それでいて隙がない。本作はディズニーの本領がいかんなく発揮された娯楽作です。

ところで、僕がいま住んでいるトロントは多くの移民が暮らす多文化社会であり、地下鉄の中を見回すだけでも多くの人に出会います。人種だけでなくその体型から年齢までさまざまで、電動車イスを巧みに乗り回す老人や、自転車ごと乗り込んだ家族、犬の散歩途中の人なんかまでいる。そうした人々を眺めていると、一人一人の顔や体が強い存在感を放って感じられることがある。「まるでズートピアのようだな」と滞在から二週間経った頃に本作を観て感じました。そして僕はこの街で何の動物なのだろう……なんてことも思ったりしたものです。

今ではもうすっかり慣れましたが、それでもこの街で暮らしていると、多様性について考えさせられる機会が多々あります。本作は僕自身のそうした経験と結びついて印象に残った一本でした。

●10. 『手裏剣戦隊ニンニンジャーVS烈車戦隊トッキュウジャー THE MOVIE 忍者・イン・ワンダーランド』

VS戦隊シリーズは毎回出来が良いのですが、今作はその中でも屈指の出来だったと思います。

実を言えば、トッキュウジャー自体はそこまで好きではありません。アイデンティティ不安を抱える若者が仲間内でお互いを承認し合う、その内向きなドラマがどうにも苦手だったのです。それでもシリーズを通して人間関係を着実に掘り下げ、登場人物に確かな存在感を与えていったのはさすが小林靖子脚本というべきか。彼らを演じる役者の成長も相まって、最後にはお別れが惜しいくらい愛すべきキャラクターになっていました。

その翌年に登場したニンニンジャーは、ネット通販で巨大ロボが注文できてしまうようなギャグ戦隊。ところが一見バカげた設定や展開には、根性論で物事を済ませずに解決策を模索するという、きわめて理にかなった課題解決マインドがある。また中心モチーフとなる「忍者」も単なるいち職業、いち業界、いち技術として扱われており、そうしたフラットな世界観の下、夢を追う若者のストーリーが外向きにいきいきと描かれていました。

今回のVSでは、両戦隊の対照的なカラーが良い科学反応を起こしていたと思います。トッキュウの幻想的な設定を土台にしてニンニンらしい遊びのあるストーリーが展開する。両戦隊の絡みを見るのは楽しいし、もちろんアクションは安定のクオリティ。スーパー戦隊ファンとしては大満足の一品でした。

以上、2016年の映画ベストでした。その他、選外となった作品は以下の通り。

シン・ゴジラ』『ハドソン川の奇跡』『ブリッジ・オブ・スパイ』『キャプテン・アメリカシビルウォー』『マネー・ショート』『ザ・ウォーク』『完全なるチェックメイト』『ゴーストバスターズ(2016)』

それでは皆様。よいお年を。

Movie Review - 'Freeze, Die, Come to Life!(動くな、死ね、蘇れ!)' : Running past your childhood.

Hi, everyone. What if you can go back to your childhood? Do you go back? Today I'll talk about the greatest film I've ever seen, "Freeze, Die, Come to Life!"

The film is a story about Valerka, a 12-year-old boy who lives in a desolate coal mine town in the Soviet Union. He plays with the caring girl named Galia. Though it is a kind of coming-of-age story, their life is too messy to be beautiful. In the snow-covered town, everyone looks disgusted and speaks harshly. A drunk staggers singing in a loud voice. A young woman runs after a soldier with her butt exposed. And an insane old professor dips a piece of rationed bread in mud, and munches.

The film was directed by Vitali Kanevsky, who had been jailed for eight years in spite of his innocence. It is a semi-autobiographical film. However, there is no room for nostalgia. Even in such terrible surroundings, Valerka and Galia play around, get into mischief and grow up. How lively they are! And the style of the film is also vigorous. Scenes and shots jump from one to another, therefore, each of the fragments sticks into consciousness. This is what cinema is!

When the film ended up with the unexpected, I couldn't understand what I had just seen, and up to now, it has remained in my mind. "Freeze, Die, Come to Life!" is hard to follow. It just run past his childhood, and it will come to life, before your eyes!

Thank you.


ヴィターリー・カネフスキー DVD-BOX

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