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彼はヒーローであっても変態ではない――『HK/変態仮面』評

 何より主演の鈴木亮介が見事だ。ほぼ全裸の体をくねらせての格闘、股間の「おいなりさん」を駆使した必殺技の数々。次々と繰り出されるきわどい絵面は彼の鍛え上げられた肉体により鮮烈さを増している。また彼の実直そうな顔は、変態仮面の正体・色丞狂介役にはまっている。
 ヒーローものの肝をおさえた内容も好感である。抑えがたい力や狂気をもつために異端となり、公と私の間で揺れ動く。そんなヒーロー像に変態仮面もまた忠実だ。「ノーマルな俺に戦う必要なんてないんだ」という台詞など、一見ギャグのようで実はかなり本質を突いている。
「変態なのに、格好いい」と愛子がみとれるのも無理はない。パンティこそ被ってはいるが、変態仮面は思いの外ヒーロー然としているのだから。
 だがはたして「変態」としてはどうだろうか。
 彼はパンティを被ることで興奮を高めて変身する性的倒錯者だ。だから最初の変身シーン等、彼がパンティに注ぐ視線や恍惚の表情はもっと執拗に映されていい。
 ところが実際には、彼は「何だ、この吸い尽くようなフィット感は!」などと説明的な長台詞とともにオーバーな反応をするのである。原作が漫画だとはいえ、本作にはこうした漫画的な演技や演出が過剰だ。心理描写は台詞に依存し、映像で説得力をもたせていない。そのために狂介の「変態」性は単なる記号と化し、観客の共感も拒否感も喚起しない。
 結果、偽変態仮面の存在までもがもてあまされてしまう。貧相な裸体を衆目に晒して恍惚に耽る中年男性の彼は、本来なら変態仮面アイデンティティを揺るがす強敵に相応しい。しかし映画は、狂介が彼に打ち克つ根拠を与え切れずに「変態=力」の図式自体を放棄するのである。
 真の「変態」を追求し、肯定する。そんな娯楽作品としての最善手をとらずに、本作は目先の笑いを追求した。結果、深められたはずのテーマやドラマも失われ、映画は瓦解する。ラスト、唐突に現れて学校を破壊する巨大ロボットはその証にほかならない。

※ 『キネマ旬報』2013年6月上旬号 「読者の映画評」1次選考通過原稿より全文掲載


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