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ジミー・グラルトンの歩んだ自由の道――『ジミー、野を駆ける伝説』感想

一九三二年内戦後のアイルランド。農民達がある小さなホールを村に再建した。そのリーダーとなった実在の人物ジミー・グラルトンを描く本作は、生の歓び溢れる自由への賛歌である。

緑いっぱいの丘陵を農民達は馬車に揺られてやってくる。農具を握ったその手に書物を握り、詩を学ぶ。畑の土を踏み均したその足で、ジャズに合わせて床板を踏み鳴らす。<Jimmy's Hall>とは人々が自らの手で作り上げ、老若男女で賑わう集会所だ。しかし宗教者や権力者ら保守勢力は彼らを「反キリスト」「アカ」だと非難し、日に日に彼らへの抑圧を強めていく。

民族主義が宗教や権力と結びつき、錦の御旗の下に力なき人々を圧迫する。そうした中、ジミーが彼らに抗する手段は暴力ではない。言葉によってである。

民族統一のためにも教会が人々を導くのだと。そう信じて譲らない保守派代表の神父に彼は三度抗議の弁を述べる。あなたは労働者が人生について考え、それを楽しむことすらも奪うのですか、と。「手を見てください、爪には泥が。僕は学者ではない」「あなたは、ひざまずく者の言うことしかきかない」。練り込まれた台詞の数々が彼の誠実さと知性を表している。さらに、それらを育んだ郷土の風景を伴うことで、本作は人間生活に根付いた文化的な営みの尊さを示すのだ。

十年ぶりの帰郷も束の間、結局ジミーは国外追放を余儀なくされてしまう。その直前の彼と母親とのやりとりが秀逸だ。今度は一緒に来ないかという彼の提案に、母の答えは「新しい靴を買いなさい」。息子の歩み来た道程とその歩み行く先を知ればこそ、彼女はボロボロになった彼の靴を洗っていたのだ。そして映画は去りゆくジミーを見届け、道半ばに立つ若者達の姿で幕を閉じる。

本作で描かれたアイルランドの政情は、二〇一五年の日本を生きる私達にも無縁ではないだろう。苦難の中でなお魂の自由を失わぬこと。そのための範はこの“名も無き英雄”の歩みに示されている。

監督:ケン・ローチ(『天使の分け前』『麦の穂をゆらす風』)
脚本:ポール・ラヴァティ(『天使の分け前』『麦の穂をゆらす風』)
  :ドナル・オーケリー
撮影:ロビー・ライアン(『天使の分け前』『ラスト・デイ・オン・マース』)
出演:バリー・ウォード
  :シモーヌ・カービー
  :アンドリュー・スコット(『荒野の1ドル銀貨』)


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