タケイブログ

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『アンチクライスト』

ラース・フォン・トリアー監督作『アンチクライスト
http://www.antichrist.jp/

 雪の降る晩、ある夫婦がセックスに没頭している最中に幼い息子が窓から転落し、命を落とす。事故のショックで妻は精神を病んでしまう。セラピストである夫は妻を救うため、精神科医の治療を辞めさせて、本来身内に施すべきでないセラピーを妻に行う。セラピーを通じて妻が「森」という場所に恐怖を感じていることがわかる。その恐怖を克服するために夫は妻とともに、かつて妻が息子と訪れたエデンという名の森に向かう。

 タイトルの「アンチクライスト(antichrist)」とは、「反キリスト」「キリストの敵」の意。イエスがキリスト(預言者)であることを否定するもの、悪魔の具現などを指すのだそうで、かのニーチェキリスト教批判として『反キリスト者』という著作を書いている。タイトルロゴの"anti christ"の"t"が”♀”と表記されていることが本作のポイントで、男女のセックスを巡る問題を扱っている。
 キリスト教的題材でしかもセックス。完全童貞者の自分では本作の内容を把握しきれなかった。ただ男の目線から見た女性的な感情への恐怖、女性が肉体を通して自分の存在を実感することが罪とされることへの恐怖を本作は描いているのではないかなと。少なくとも自分はそのように受け取っている。
 まとまりきらなかったので、とりあえずトピックごとに書き散らし。

 ・本作のプロローグは優美にして挑発的だ。水滴が弾け飛ぶ浴室で、 夫婦が激しく愛を交わしている。ぶつかり合い波打つ肌、ピストン運動を繰り返す二人の局部、一方、寝室の窓の外では雪がはらはらと舞っている。幼い息子はベビーベッドから抜け出し、無邪気な顔で窓に身を乗り出す。ここで突然、息子は足を滑らせてしまう。その体はゆっくりと落ちていき、道路へと叩きつけられる。同時に二人もオーガズムに達する。ヘンデルのオペラからとった主題曲のアリア「私を泣かせてください」をBGMに、ハイスピードカメラで撮影した極端なスローモーション映像がモノクロの画面上に展開する。

・プロローグとは対照的に舞台である森の不気味さが際だつ。悪魔が潜んでいる、あるいは自然そのものが悪魔であるかのような演出で、不安と恐怖を最大限に高めている。特に森を背景にしたロングショット+ハイスピードカメラを使ったスローモーション+ごおごおと風の鳴るようなノイズの組み合わせは、デヴィッド・リンチ黒沢清を彷彿とさせる。全体的に日本のホラー映画のような演出だなあと思ったら、監督いわく『リング』などの日本の映画に影響を受けたとのことらしい。それに加え、手持ちカメラを使うことでドキュメンタリーのような生々しさを与えている。

・エデンの名を冠する森の雰囲気と同調するかのように、シャルロット・ゲンズブールが演ずる名もなき妻の狂気が映し出される。このシャルロットの演技がとかく凄まじいのだ。息子を失い不安定な精神状態にある妻は、縋りつくような激しいセックスを夫に求める。それだけでなくアオカン、自慰、手コキまで披露してくれるのだけど、当然ながらサービスシーンだとか垂涎モノのエロスとかそんなものではない。その必死さには恐怖すら覚えてしまう。もちろんセックスシーンだけでない。普通のシーンでの抑鬱感、激昂するシーンの表情等。病み方にリアリティがあって、彼女の精神の逼迫した状況がひしひしと伝わる。希代のヤンデレ森ガールの妻役を、シャルロットは体当たりな演技で演じきっている。

・森と妻、彼女が悪魔と同一視されていることは作中の随所で示唆されている。たとえば列車の窓越しに流れていく森の風景に一瞬恐ろしい形相の顔が映る。これは『エクソシスト』でも使われたサブリミナル的な演出 とよく似ている。ここで映る顔は確認はできていないがおそらくこれは妻の顔である。この彼女の狂気は息子の事故以前から片鱗を見せている。

・妻が息子の靴を左右逆に履かせていたのは息子を目の届く所に置いておくため。夫の足に穴を開け砥石をはめるのと一緒。「私を見捨てないで」という感情から来るものであり、すがりつくような激しいセックスもここから来るのではないか。なお『ドッグヴィル』でも拘束というシチュエーションがある。監督の趣味か。
 
ウィレム・デフォーが演じる夫は渋いオッサンだがさりげなく駄目な亭主。森にこもって論文執筆をする妻に「僕が子供を預かるから、いってきなよ」ともいえず、妻に息子を任せる。セラピストとしての理念から、妻が求めてきても「患者とは肉体関係をもってはいけない」と一掃。妻の恐怖に対しては「その恐怖はまやかしだ」とのたまう。いくぶん女性に対して気遣いが足りない。女性に対して少々無理解である。きわめて普通の男という印象。

・本作における悪魔とはすなわち、男性から見過ごされ否定される女性の感情の誇張表現ではないか。最終的に妻は正気を取り戻した後、夫が寝ている横で自分の性器をハサミで切り取ってしまう。男の自分でもこのシーンは観ていて「にぎゃー!」と叫びたくなった。デフォーのチンポが殴られるシーンよりキツい。この妻の行為は息子を死なせ、夫を傷つけた罪に対する自罰行為であると同時に、彼女なりの悪魔祓いである。かつてヒステリーは子宮が原因で起こるとされた。また魔女狩りの時代には女であるだけで魔女とされたという。女であることそのものが狂気であり罪であるとすれば、それはもう切り落とすしかない。

・森の中でのセックスシーンやエピローグに映る夥しい数の死体は、魔女狩りで殺された女たちのイメージ。彼女たちは女の肉体を抱え込んだがために魔女にならざるを得なかったものたち。しかし夫が妻を絞殺し、犠牲とすることで彼女たちは肉体=悪魔から解き放たれる。エピローグで夫に群がる女たちに顔がなく、服を着ているのはそういうことなんだと思う。子供を育てる体、あるいは恋人の性欲を満たすために投げ出す体から解放されている。


◇◇◆◇◇

もともと自分はラース監督の作品を「好きではないけど面白い」にカテゴライズしている。
今回もその通りだったけど、今回は特に痛々しくて観ていてちょっとキツかった。
でもこういう幻想的、ホラー的な演出は大好きなので、ぜひ監督にはガチでホラーをとってもらいたいな、と感じた。


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