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大豆を巡る探求の旅――瀬川深『SOY! 大いなる豆の物語』感想

SOY! 大いなる豆の物語 (単行本)

SOY! 大いなる豆の物語 (単行本)

 ある日、二十七歳無職青年・原陽一郎の下に届いた一通の手紙。それは南米に本社を構える穀物メジャーのCEO、コウイチロウ・ハラの遺産管財人となることを依頼するものだった。彼は果たして自分の血縁なのか? その調査を進めるうちに陽一郎は、私達の歴史や社会に「大豆」が重大な影響を及ぼしてきたことに気づき始める。

『チューバはうたう−−mit Tuba』(2007)で第23回太宰治賞を受賞し作家デビュー、『ミサキラヂオ』(2009)で初長編作品を刊行した瀬川深。その単行本五冊目となる本書で著者が試みるのは、「大豆」という穀物から日本の来歴の一端を解き明かすことにある。読み進めていくと何よりまずその押し寄せる知識の洪水に圧倒されてしまう。

 東日本大震災、阿弖流爲、匿名掲示板、TPP、満州移民、同人ゲーム、大衆演劇、ずんだもち、……。食の安全といった現代的なテーマを扱いつつも、本書には雑多なキーワードがふんだんに盛り込まれている。一見無関係なそれらの物事は複雑に絡み合い、陽一郎を取り巻く世界を形作っているものだ。やがて明治から現代、日本からパラグアイへと舞台は縦横無尽に広がり、二十世紀という時代が資本による収奪の歴史として読み解かれていく。ともすればそれは上滑りな知識をひけらかすだけにもなりかねない。だが著者の確かな「物語」る手腕によりその試みは見事なまでの達成を果たしている。独白や回想、文献の記述、人々との対話。多様な「語り」を織り交ぜながら、本書は大きな歴史の流れの中に豊かな人間模様を編み込んでいくのである。

 僕個人としては、陽一郎の生い立ちが偶然にも自分と似ていたことは大きかった。東京郊外の住宅地で幼少期を過ごし、高校時代はアニメやネットにまみれた青春を送っていた。そんな陽一郎やそのオタク仲間達が身近に感じられたのだ。他にも、東北の親戚達も生々しい存在感を放っていて魅力的だ。凡人、傑物、俗物、理想主義者、小市民、リア充、オタク、等々。そこに描かれる人々はさまざまだが、人間生活の機微をとらえている点で彼らの挿話は通底する。過去作同様、人間の普遍的な営みに信を置く著者の態度は健在である。

 しかしそれ以上に本書は「調べもの」のエッセンスを凝縮した小説でもあるのだ。人を駆り立てる強い好奇心に、地道な調査の過程、発見の歓びからそこにつきまとう危うさに至るまで。リサーチで得た知識を垂れ流すのでなく、物事を調べる経験とそれが人にもたらす影響を本書は500ページにも及ぶ分量で書き尽くしている。

 本書を読み終えた時、沸き上がってきたのは希望と畏れの両方だった。陽一郎と探求の旅を共にした私達の一人一人が、目の前にある社会や歴史をどう読み解き、その中で何を成し得るかを問われている。とりあえずググって何事かを知った気になり、ネット上に流通する安い言葉でクダを巻く。そんな「雑」な振る舞いでは取りこぼされてしまう世界の複雑さを描いた本書は著者渾身の一冊である。

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