タケイブログ

ほぼ年1更新ブログ。

2015年鑑賞映画総括

ジュラシック・ワールド』『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン
そして『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』。
今年は何かとビッグタイトルの多い年であったと思う。

僕自身はといえば、私事が忙しくて見逃した映画も多い年だったが、
それでもピックアップをするのはやはり難しい。

以下、今年のベスト10を発表していくが、
その前に過去分はこちら↓

2014年鑑賞映画総括 - タケイブログ
2013年鑑賞映画総括 - タケイブログ
2012年鑑賞映画総括 - タケイブログ

■映画鑑賞本数&私的総合ベスト10
まずは本数から。

新作 104本
旧作 37本
合計 141本

※新作……2015年日本劇場公開作(ビデオスルー等も含む)
※旧作……「新作」以外のもの(同一作品の複数回鑑賞を含む)

これらの「新作」から判断基準ごった煮でベスト10を選出。
結果は以下の通りとなりました。

1.『セッション』
2.『自由が丘で』
3.『チャッピー』
4.『プリデスティネーション
5.『戦慄怪奇ファイル 超コワすぎ!FILE-01 恐怖降臨!コックリさん』
6.『神々のたそがれ』
7.『薄氷の殺人』
8.『野火』
9.『百円の恋』
10.『死霊高校』

■各作品コメント
●1.『セッション』

リズム、スウィング、ハーモニー、音楽映画には音楽用語がよく似合う。
だが本作にそれらの言葉がはまるとは到底思えない。
むしろそんな甘っちょろい形容なんてしたら
フレッチャー先生からビンタを食らってしまうのではないか。

本作の公開当時、菊地成孔町山智浩の間で繰り広げられた論争が話題を呼んだ。
一読した限りでは、菊地氏が音楽映画として本作に酷評を下す一方、
町山氏はフレッチャーが挫折した経験を想像しつつ、
音楽による和解というドラマを見てとったようだ。

だがそれらの文章を読んで僕がまず感じたのは、
本作を音楽映画として語ることへの違和感だった。
同様にその感動の質もありふれたドラマとは異なるものに思えた。

たとえば、フレッチャー先生(J・K・シモンズ)が
アンドリュー(マイルズ・テラー)に弱みを見せる場面では、
特に彼の主観に寄った演出をしていない。
むしろ散々鬼教官ぶりを見せてきた彼に対して、
僕らはこう言いたくなったのではないか。

「なんだ女の腐った奴め! もう一度"Fuckin' tempo!!"と罵って見せろ!」と。

実際、その怒りはラストの超々長尺の演奏シーンで昇華され、
彼らの感情の機微だとか過去だとかは最早どうでも良くなっていく。

音楽に傷つき、音楽で和解し、音楽に救われる、
『セッション』はそうした映画……ではないはず。
そんな時、とある方の感想を読んだ僕は思わず唸ってしまった。
その方は本作を「決闘映画」であるとし、その一例にジョジョを挙げていたのである。

ジョジョの奇妙な冒険」、通称「ジョジョ」。
1986年に週刊少年ジャンプで連載開始されて以降、
今もなお続く人気バトル漫画シリーズである。
とりわけ本作を特徴づけるのが、シリーズ途中で導入された「スタンド」の概念だ。

スタンドとは超能力を擬人化した守護霊のような存在であり、
「時間を止める」「体が糸になる」「爪が回転する」等々、
それぞれに奇抜な能力とビジュアルを持っている。
登場人物はスタンド使いと呼ばれ、それらを使役しながら戦っていく。

スタンド戦では知恵と勇気こそが勝利の鍵だ。
敵の能力が強いる不可思議な状況を切り抜けながら、
逆に相手を自分の力の影響下に引きずり込んでいく。

またスタンドは使い手の魂の具現化ともいえる存在であり、
ジョジョとはいわば西部劇に見られるような
決闘の精神をもっとも奇抜に描いた漫画だといえよう。

さて話を『セッション』に戻すと、
本作もまた奇抜で過剰な決闘を描いた映画ではないだろうか。

思い返せば、本作のデミアン・チャゼル監督が脚本を手掛けた
『グランドピアノ 狙われた黒鍵』もまた、理不尽な状況下におかれた男が
ハッタリめいたアイデアで立ち向かう映画だったではないか。

そして本作もまた奇想こそ鳴りを潜めたものの
やりすぎな展開と音楽をただの「速さ」勝負と化してしまう
その強引さは変わらない。さらに善悪を超えた人間の意志を描いている点は、
ジョジョ4〜5部から6〜7部への作風の変遷をも彷彿とさせる。

相手の仕掛けたルールに則りながらも
己のルールから表出するものにより相手をねじ伏せんとする。
そうやって精神をさらなるステージへと高めていく。

決闘による魂の純化。それこそが『セッション』という映画の魅力の一端だ。

こうした視点から件の町山・菊池論争を見てみる時、
両氏ともに作品を自分の土俵に全力で引きずり込んでいるのがわかる。
それはさしずめスタンドバトルのようだ……と言ったら流石に強引だろうか。

否、そうした強引なまでの力強さこそ本作が求めたものであり、
あのラスト八分間に渡る演奏なのだ。

●2.自由が丘で

かつての恋人に会うため韓国を訪れた
日本人男性(加瀬亮)のゲストハウスでの二週間を描く。

恋人宛ての手紙がばらばらになったためストーリーも
時系列がシャッフルされているという趣向が本作にはあるのだが、
映画自体からは技巧的が印象はまったく感じられない。

構図やズームの使い方はどこかルーズ。
唐突で不可解な場面や行動も少なくないが、
映画全体にゆるやかな時間が流れていて不思議と心地良い。

とりわけ映画を特徴づけているのが、
韓国語・英語・日本語が入り交じっている点だ。
日本人と韓国人同士の英語での会話が映画の大半を占める。
だが非ネイティブの彼らの英語は流暢でなく発音も拙い。

言葉を絞り出し、相手に言い聞かせるかのような彼らの話しぶりは
まるで時間が引き延ばしているかのようだ。

そんな無時間的な感覚が本作の魅力であるのかもしれない。

●3.チャッピー

ニール・ブロムカンプの映画は良くも悪くも欲望に忠実で、
それ故エモーションに満ち溢れている。

たとえば『第9地区』では、それまで「エビ」に共感も同情も見せなかった
主人公が結局は「見捨てられねえ!」と彼を助けに駆け出し、
同朋だった人間どもをパワードスーツでぶち殺していく。
理屈を超えた行動を描けるのはこの監督の強みだといえる。

他方、何の脈絡もなくポン刀やスリケンが登場し、
英雄の犠牲で革命完了という身も蓋もない終わり方をする
エリジウム』なんて作品もあったりする。

今回の『チャッピー』に関して言えばこうした
監督のバカ正直さが逆説的にSFらしい面白さに繋がっていたと思う。

鋼の体に子供の心を持つチャッピーは
人間から暴力と教育のシャワーを容赦なく浴びさせられる。
親代わりとなる人間達は各々に言うことが異なり、
どれも非論理的で矛盾したものだ。

しかしながら、彼がそれらをどう解釈するか等といった
論理的な展開は特にない。あたかも自分の血肉にするかのように
チャッピーはそれら矛盾を矛盾のまま受け入れるのである。
そうしてただ生き延びんと欲する彼の姿に
僕は不覚にも涙ぐんでしまった。

ところで、ブロムカンプの映画にはもう一つの特徴が見て取れる。
秩序と混沌、知性と暴力、そういった物事の境界や格差が均されていくが、
それを成した当人は別の境地へと旅立ってしまう、というものだ。

最終的にチャッピーもまた、人間でありロボットでもあり、
あるいはそのどちらでもないような存在となっていく。

次回ブロムカンプが撮る予定の『エイリアン』シリーズ新作では、
このテーマは果たして受け継がれるのだろうか……と思いきや、
どうやら製作が中止されたとのことらしい。残念。

●4.プリデスティネーション

夏への扉』で有名なロバート・A・ハインライン原作のタイムリープSF。
そのプロットと語り口は完璧といっても過言でなく、
一つ一つの場面から物語が組み上がるそのプロセスがとにかく気持ち良い。

あらすじだけでもネタバレになりそうなので
興味のある方は何よりまず映画を観るべし。
とりあえずここでは俳優の話をしておこう。

僕は主演のイーサン・ホークの映画をあまり見たことがないのだが、
フッテージ』を見て以来、彼のことを好きになった。
あのどこかバカっぽい……というかダメっぽく、
女々しさすら感じる顔つきに何となく興味を惹かれるのだ。

実際、去年の『6才のボクが大人になるまで。』や今年の『パージ』等、
家長としては不成功な父親を演じており、
プリデスティネーション』もその延長線上にある映画だったと思う。

またもう一人の主演、サラ・スヌークも実に素晴らしかった。
新人とは思えぬ抜群の演技力に驚かされたし、
正統派美人から外れたその個性的な顔つきは彼女の役柄にもぴったりだった。

結局の所、SFというのは箱庭遊びに過ぎないのかもしれない。
だが本作はイーサン・ホークサラ・スヌーク
二人を小さな箱庭の屋台骨に据えた。

その物語に引き込まれたが最後、
次から次へと箱庭が組み上がっていって
観客はいつの間にかその中に閉じ込められてしまう。

●5.戦慄怪奇ファイル 超コワすぎ!FILE-01 恐怖降臨!コックリさん

Jホラー二大幽霊が衝突する『貞子VS伽椰子』の監督に抜擢され、
来年1月には本邦初4DX専用映画『ボクソール★ライドショー〜恐怖の廃校脱出!!〜』の公開を控える等、
いまや日本ホラー映画界を牽引する存在となった白石晃士
本作はそんな彼が手掛ける人気ホラーシリーズ「コワすぎ」仕切り直しの一本である。

といっても、前シリーズで伝奇SFオカルトバトルにまで飛躍した
本作がただのホラーに収まるはずもなく、
こっくりさんを散々コケにした末に力技で除霊するという
痛快な展開に毎度のことながら大笑いさせられた。

特に、今回は「俺ならこっくりさんにこう勝つ!」を最高の形で見せてくれたので、
ぜひとも今年の一本に上げておきたい。

ところで本シリーズについては
ファンの間で熱い考察が繰り広げられているようだ。

「コワすぎ!」「カルト」他、白石監督作品の感想と考察まとめ
http://togetter.com/li/816727

神話や都市伝説、オカルトのモチーフがちりばめられていること、
工藤DやNEOといった強烈なキャラクターを生み出したこと。

これらは白石監督の作品がアニメや漫画等と
同列に語られる所以であるが、同時に半ば強引にであれ
彼の諸作が連作化し、長期展開できたことがそれに貢献している。

ファンが「遊べる」作品を安定供給する白石監督は
一級のエンターテイナーであり、
邦画界においても稀有な存在ではないだろうか。

自分もファンの一人として、
今後の監督の活躍と「白石ユニバース」の展開に期待したい。

●6.神々のたそがれ

「簡単なあらすじをここまで難解にできるものなのか」
とは本作を鑑賞した知人の言。

多くの映画は架空の現実のほんの一部を切り出し、
整序だてた上で観客に提供しようとするものだ。
しかし本作はまるで一つの惑星をまる飲みしてしまったかのよう。

映画を観ている僕もまた飲み込まれて、
その猥雑さと質量に圧倒された。
噂に違わぬ強烈な映画体験であったと思う。

・過去記事

泥の絵画、「糞」の透視図法――アレクセイ・ゲルマン『神々のたそがれ』評

●7.薄氷の殺人

街灯が薄汚れた冬の街を照らし、ネオンが赤く妖しく光る。
光と影の織りなす風景は幻惑的かつ叙情的。
本作はそんな独特な魅力を持つサスペンス映画である。

グイ・ルンメイ演じる未亡人はあざといくらいに美しく、
まるで薄幸美人を絵に描いたかのよう。ほぼ露出はないにもかかわらず
彼女の白い肌から終始エロスが立ち上っていた。
とりわけ夜の野外スケート場で彼女を追うシーンには背筋がぞくり。
フィルム・ノワールには不案内だが、成る程これがファム・ファタルと得心した。

また通行人が酔いつぶれた刑事のことを案じたかと思いきや
そのままバイクを盗んでいく、おんぼろマンションになぜか馬がいる、等々。
猥雑さとうらさびしさの同居する地方都市の風景はそれ以上に味わい深い。

全編静寂を基調にしていればこそ、
花火の音が鳴り渡るラストが印象的だった。

●8.野火

今年観た市川昆『ビルマの竪琴』は徹頭徹尾、
戦争を経て人はいかに生きるかを描いていた。
同監督の『野火』は未見だが、おそらくは同様に
ヒューマニズム精神を強く感じられる映画ではないかと思う。

その一方で、塚本晋也版『野火』には、
戦争がそれらをいかに剥ぎ取るものであるかが描かれていた。

飛び交う銃火に手足臓物が弾け飛び、飢えと渇きに晒されて芋ひとかけの慈悲も残らない。
熱帯雨林のあちこちには傷病兵や死体が転がっている。
日本兵・田村と往くフィリピン戦線の「前線」は凄惨極まりない。

特に、誰も彼もが汚らしく不衛生なのが強く印象に残った。
「こうはなりたくない」と素直に思わせられる、
ある意味究極の反戦映画といえるだろう。

ラストでただ一度のモノローグが聞こえた時は背筋がぞっとした。
「やっとこの悪夢が終わる」と安堵して初めて、
自分が完全に当事者目線になりきっていたことに気づいたのだ。

ただ中から戦争を眺めることは誰にも不可能であり、
生存者にしかそれを振り返り、語り継ぐことはできない。
その単純な事実が重くのしかかってくるかのようだった。

●9.百円の恋

公開開始自体は去年からだが是非とも入れておきたい一本。
ニートが恋をきっかけにボクシングを始める映画。
安藤サクラが驚異の肉体改造でその役を演じ切っている。

ただ彼女の演技もさることながら、
僕は本作が登場人物に向けるまなざしに好感を抱いた。

主人公が成功と再起をかけて奮起する一方、
彼女の周辺は救いがたい敗者達で溢れている。
「底辺」の世界を生きる人々をこの映画は
肯定も否定もせずに長回しで見つめるのである。

本作はスポ根でも恋愛ドラマでもない。
邦画らしい感性の延長線上に生まれた紛れのないボクシング映画だ。

・過去記事

恋と怒りを闘志の糧に−−武正晴『百円の恋』評

■10.死霊高校

2015年に観たPOV映画では
『AFFLICTED アフリクテッド』『ヴィジット』が大変面白かった。
どちらもPOV手法の下にドラマがきちんと描かれており、
特に、後者ではシャマラン監督のクレバーぶりが遺憾無く発揮されていた。

それらと比べると本作は若干個性に欠けるかもしれない。
にもかかわらず僕がこの映画をベストに上げるのは、
本作が久々に真っ当に怖いホラー映画であったからだ。

原題の「The Gallows(絞首刑)」は劇中のハイスクール演劇の演目名。
その公演前夜に起きた惨事を本作は描いている。
学校が舞台なことや芝居がモチーフであること等から
一頃のJホラーをどこか彷彿とさせる作品だ。
(実際、稲川淳二も本作を「学校の怪談」と表現している)

携帯のカメラで撮られた廊下は奥まで真っ暗でつい目を凝らしてしまうし、
衣裳部屋や舞台天井等の雑然とした空間では、
限られた視界に不意に何かが飛び込んで来てぎょっとさせられる。

POV映像ならではの臨場感あるパニック描写、
段取りを踏んで積み上げる演出、動と静、その両方の恐怖表現が上手い。
ポスタービジュアルのような印象的な画だってある。

他、退屈になりがちな導入部をさらっとクリアしているのも好感だ。
無作法なアメフト部員をカメラマンにすることで、
スクールライフ描写に楽しさと剣呑な雰囲気を両立させており、
開幕から終幕まで実に抜け目がない。

作り手の意図した通り観客の眼前に映画が組み上がっていく、
そんな本作のクライマックスに身震いがした。

以上、2015年の映画ベストでした。
その他、選外となった作品は以下の通り。

『イロイロ ぬくもりの記憶』『AFFLICTED アフリクテッド』『ヴィジット』『アメリカン・スナイパー』『ジョン・ウィック』『私の少女』『マッドマックス 怒りのデス・ロード』『悪党に粛清を』『ナイトクローラー』『ジュラシック・ワールド』『蟲師 特別編「棘のみち/鈴の雫」』『エボラシンドローム〜悪魔の殺人ウィルス〜』

それでは皆様。よいお年を。