Twitterへの復帰と休止中の出来事について
ごめん。休む前にやっぱ言わせて。前々から自覚あったけど、多分僕のこれトラウマ反応に限りなく近いやつだ。心拍数が上がるとか記憶がフラッシュバックするとか物事が手につかないとか涙が出るとか、そういう身体的反応がある段階までいくと毎回そうなるし、わざわざ自分で見に行った今回も出た。
— 武井博則 (@cadtki) 2021年11月8日
これを書くこと自体が全方面でいろいろとアレなんですけど、今これを書かずにおれないこと自体が強迫的だし、ここまでは記録として書いておいた方がいい気がするし、切り離しも兼ねて書いておく。そしてごめん、ちょっと大丈夫と言い切るにはやっぱり不安があるんで、本当に一ヶ月程SNS断ちます。
— 武井博則 (@cadtki) 2021年11月8日
この一か月Twitterから離れていたのですが、その間に上の状態が悪化して恐慌状態に陥りました。その結果、生活に支障が出るレベルで心身に異常が現れました。
平たく言えば、何らかの精神疾患の兆候または初期症状が出ました。
「何となく不安だ」といった漠然とした気分ではない。身体的反応としての緊張や不安がある。上のツイートの時点で既に体の震えや強張りを感じていました。それが今回ピークに達した。短期間ではありますが、正常の範囲を逸脱した行動も現れました。
今回直接の引き金となったのはインターネットのトラブルでした(より厳密にはその様子を見ていたであろう方の僕へのエアリプです)。過去に雇用問題等で似た状態になった時はいずれも軽微でしたし、またトラブル自体をその都度解決できていたため、特に大きな問題にもなりませんでした。しかしこの一年、プライベートでの環境の変化やコロナ禍の状況が重なり、心身の不調が長期間続いていました。そうした状況と運悪く重なっただけで、結局の所は時間の問題だったかと思います。
残念なことにまだ通院できていません。現在は海外在住ですが、医療システムの違い、ビザステータスの問題、これまで全く大きな病気をせずにいたこと等が重なり、一番最初の手続きで手間取ってしまいました。ただ現在は心身共に落ち着いています。会社にも正直に話して仕事の量と内容を変えてもらっていましたが、それも少しずつ元に戻してもらっています。家族や友人にもサポートしてもらいました。
実感としてはほぼ元通りですが、今現在も引き続き経過を見ています。
症状について
今回出た症状を簡単に説明しますと、以下の通りとなります。
一回切りや短期的なもの
- 長期間にわたる全身の緊張と不安。肩が強張り、心臓がばくばくと鳴る
- 集中力の喪失。考え事を全く止められず、物事に全く手がつかない
- 文字が読めなくなる。何度音読してもすべきことがわからない
- 恐慌状態。足場がぐらつく。叫び出しそうになる
- 軽い躁状態と誇大妄想
- ぶつぶつと喋り出したくなる
- 聴覚過敏と視覚過敏。被害妄想
- 気分の浮き沈み。涙が出る
長期的に継続したもの
- 集中力の欠如。複雑な仕事の分解にやや難がある
- 不眠と起床時の心拍数の上昇
- 記憶のフラッシュバック。涙が出る。突発的な緊張と不安
- 胸につかえる感覚。考えを胸に留めておけず声に出したくなる
- 言葉がすらすら出る。脳と口、脳とキーボードが直結する感覚
- 喋りの速度とコントロールが向上。英語も上達
- 文字を読み返すのを面倒に感じる
家族や親族に精神疾患の経歴があることから、これらの症状を自覚した時は「ついに自分にも出てしまったか」という思いでした。私事のストレスがピークに達していた去年末から今年にかけて、体が動かなかったり気分の浮き沈みがありました。今振り返ると、あれはやはり抑うつ状態と呼ばれるものではなかったか。そんな気がします。
睡眠薬を飲んで目覚めたが、手がぶるぶるふるえるというか、そわそわした感覚がある。今起きあがったらまたパソコンでカタカタやって、それを記述したくなりそうだから、また眠るようにした。
だからなのか、目の前が散らかってる感がある。情報が多すぎる感じ。一つずつ捨てていかないと、先が見えないような気持ちになる。この切迫感や強迫感をちゃんと残しておかないと、伝わらないのではないかという思いもあり、こうして書いている。
電車でぶつぶつ言っている人たちや支離滅裂な文章をかく人たちは多分、吐き出す先のない言葉を実況してるんです。自分が持っているボキャブラリーと語り口、ナラティブでしかそれらを語ることができない。
発症中にとった個人的なメモからです。まず始終身体が落ち着かない状態があった。頭の中にも言葉や音が渦巻いている。キーボードを叩いたり口に出したりすることによって、それらを実際に目や耳で確認しながら不安を抑えようとする感じでした。
父に電話した。あーあ、許してほしい、ごめんなさい。そういう思いになる。誰も責めていないのに、自分のうちにある世間の目が、それを責めているように思える。
「できなさ」の感覚が自分を慌てさせて、失敗を繰り返して、さらに「できなさ」を加速させ、パニックになる。これが「誰かが邪魔してくる」感覚につながるんだと思う。
やらかしてしまった感覚や気分の浮き沈みもあった。自分が「話の通じない人」に落とされてしまうのではないか。そんな怖さも感じました。
まず「胸のつかえ」が感覚としてあるんです。次に、三日連続で徹夜明けで集中力が落ちるような「もや」がある。そしてこれまで書いてきたような、頭の中に「渦巻く想念」がある。それは耳から入ってくるものではないです。僕の場合は多分、自分自身の普段考えていることが口語ベースで現れる。
しかしそれを吐き出す場所が「ない」
だからPCモニターに集中してカタカタと打ったり、町の中で実際にぶつぶつ言ってしまう。また「もや」があることで目の前のことに集中できない代わりに、刺激に対して敏感になった気がしました。たとえば聴覚過敏。先ほど喫茶店で過ごしていましたが、食器の音に敏感になったり、談笑に過敏になっているのを感じました。今の所は自分とは関係ないものだと思っていますが、それでも過敏だった気はしました。大きく聴こえました。
この時は、食器の音や英語の談笑が喧しく聴こえてきていました。耐えられずにイヤホンで耳を塞ぎましたが、スマートフォンがダークモードなのに気づかず、ふいに真っ黒な画面が目に飛び込んできて「ぎょっ」としてしまった。また単なるWi-Fi接続不良なのを理解しているのに、スワイプでの画面更新に何度も失敗して焦ってしまう。Twitterを少し覗いてみたら「黒い笑い」と言った字面が飛び込んできた。全く無関係なのは頭でわかっていても、そこで思い浮かべたイメージが頭の中で増幅されるようでパニックになりそうでした。
これらの症状や病名に関して、僕自身が何かの判断を下すことはできません。ただ自己認識としては、「僕は統合失調症になりかけている」といったものでした。一般に、統合失調症の患者は「自分が病気である」という認識(病識)を持たないと言われています。ただ初期段階では病識が存在しており、ストレスを処理できずに悪化していく中で、集中力や思考力が失われて病識が消失するのだと指摘する記事もありました。
(参考:第8回 「初期症状から急性期症状と病識の変遷」|医療法人社団博仁会 大江病院)
現在の体調と対応について
本記事を執筆中の現在、自分の実感としてはほぼ以前の状態まで戻っています。胸の「つかえ」もなくなり気分の浮き沈みもない。緊張と不安が時々ぶり返すことがありますが、余計な刺激さえなければ問題ありません。
今回僕が元通りになるまでにやったことがいくつかあります。
まず何よりも先に、文章を書きました。観念的で漠然とした不安でなく、身体的反応として僕の体に異常がはっきりと出ている。これらの症状はトラウマ反応だという妄執めいた確信がありました。この問題の所在を突き止めなければならない。
通常のトラブルであれば、他人とのやり取りを通して具体的な問題として解決できる。しかし今回はそれができず、症状もこれまで以上に悪かった。仕事に支障が出たのでひとまず休まざるを得なかった。
そこで自分自身とのコミュニケーション、自分語りを一週間ひたすらに行いました。
現在の状況から遡って、小学校、中学校、高校、大学、就職と。全自分史を行き来しながら掘り下げていった。ただ強迫的にタイピングを続けていく。集中力が完全に持っていかれているので、やるしかなかった。心臓がばくばく鳴る、体が震える、涙が溢れ出る、足場がぐらつく。そういった怖い思いに耐えながら、何とか踏ん張って記録だけは残した。とにかく書いた。そうやって何とか書き上げました。
次に、書き上げた得体の知れない文章を顔も知らない人々に投げ出した。
「全然大丈夫じゃないですね。自分で自分を殴っておられる」
返ってきたメッセージを読んだ時、人生で初めて虚脱感というものを経験しました。全身の血が煙のように抜けていく。まっ白になる。一週間以上強張ったままだった身体が一気に緩んで、その場にくずおれました。しばらくの間全く動けなかった。重い身体を引きずりながら玄関まで出て、座ったまま外の空気を吸った。今後のことをどうしようかとぼんやり考えながら、また部屋に戻って、家族にまず電話しました。
その後、僕の異常を感じ取ってくださった方々がメッセージを返してくださった。それぞれに僕のことを気にかけて手助けをしてくれました。幸いにも、受け止めてもらうことができた。
少し落ち着いた後は、グループチャットを作って色々と僕の話を聞いてもらいました。自分が何に不安を抱いているのか。過去にどんなことがあったのか。また家族やこっちの友人、会社にも正直に話しました。そうやって色々な方に、現実的な手続きにまつわることから精神的な部分までサポートしてもらいました。
最初の文章が16000字。さらに躁状態でその意図を解説した文章が10000字。どちらも自分の恥部と妄執に満ち満ちた内容で早々にひっこめました。ただ僕がこれまでずっと抱いていた問題意識を整理する良い機会となりました。症状が出る度に、自分の心身の状態や考えを書き留めて説明しました。
最後に、他の人と沢山おしゃべりをしました。自分が落ち着いてくるにつれて、たわいもない雑談から身の上話まで色々なことを話しました。字数にしたら50000字は優に超えるのではないかと思います。
こうして僕が勝手に始めたことが結果的として、カウンセリングやセラピーのような役目を果たしたのではないかと思います。そうやって命からがら現実に戻ってきました。
その最後の仕上げに向けて、今この文章を書いている所です。
セラピーの思わぬ"後遺症"
ところで今回一番驚いたことなのですが、こうした過程を経て逆に喋る能力が一気に向上しました。
「前より話すスピードが速いのに、落ち着いていて、断然聞き取りやすくなった」
直接話した人皆にそのようなことを言われました。以前は人に伝わったか不安で言葉を何度も重ねてしまうような、そんな焦りのある喋り方だった。それが今はなくなったみたいです。
また英語が前よりも流暢になりました。もちろん日常生活や仕事に十分なだけの英語力は持っていましたが、躊躇いや詰まりがなくなって言葉が自然と出てくるようになった。キーボードでも口頭でも。おかげでちょっとした挨拶や雑談、人に仕事を投げるのが大分やりやすくなりました。恐らくこれまで生きてきた中で僕自身がずっと気づいていなかった、対人不安に起因するコミュニケーション障害のようなものを抱えていたんだと思います。
その根本には家庭の問題があり、あるいはそれを継続させる人間関係があった。今回の件で自分のトラウマ、言うなればこの心と身体の内に潜む”恐怖”と向き合ったことで、そうした緊張と不安が解消されつつあるのではないか。僕自身はそう思っています。
おわりに
本記事はこれで以上となります。精神疾患にまつわる家庭の経験があり、また文字を書くのに慣れていたからこそ自分の心身の状態を記録して整理し、 何とか初期段階で踏み留まることができた。今は少しずつ回復に向かっている。
これらはあくまで自己観察と自己分析に過ぎません。引き続きゆっくりと経過を見ながら具体的な診療に向けて動いていこうと思います。ただ少なくとも、自分を治癒する道筋は自分で作って、自分自身を立ち直らせることができた。結果的にこれまで長年抱えてきた自己受容の問題も解決しつつある気がします。
物言わずにTwitterにただ戻ることで、当事者としての経験を「ない」ものとされないために。僕はこの記事を書きました。それすらも支えなしではやり切ることができなかった。家族、こちらでできた友達や会社の仲間、そして今回手助けてしてくださった顔も知らない友人達には感謝するばかりです。支えてくださり、本当にありがとうございました。