タケイブログ

ほぼ年1更新ブログ。

『ホーリー・マウンテン(デジタル・リマスター版)』

"聖なる山"には9人の不死の賢者が住み、そこから現世を支配しているという。キリストを思わせる風貌を持つ盗賊の男は、実業家や政治家など世界で最も権力を持つ8人の男女と共に、錬金術師の導きの下、"聖なる山"へと辿り着くための修行と儀式を積み重ねる。それは賢者たちから不死の術を奪うためであった。『エル・トポ』でカルト映画ブームを開拓したアレハンドロ・ホドロフスキー監督の最高傑作。

 かつてDVDで本作を観た時にも、「何ともまあ頭のおかしい映画だな」と思ったのだけど、スクリーンで観るとその印象はなおいっそう強烈だった。美的センスを持った変態が、とにかくもう撮りたい放題に撮っている。裸の子どもたちの群、喜々として兵士に犯される娼婦、それを写真に撮る観光客、皮を剥いだ羊を十字架に見立てた行軍、量産され投げ売りされるキリスト像ヒキガエルとカメレオンのサーカス、巨大なラブ・マシーン、睾丸コレクションとローマ兵士風の警視総監、叫び狂う小人、仏教徒専用銃、制圧される民衆、傷口から臓物の代わりに飛び出す果物や鳩、夥しい死体と血、守護星、幾何学的模様……。
 本作が提示する数々のイメージは、どれもこれも下品で悪趣味極まりない。暴力、セックス、商業主義、奇形、宗教といったモチーフがこれでもかといわんばかりに展開される。神秘主義や東洋思想に影響されたような、思わせぶりなモチーフも盛り沢山で、何とも馬鹿馬鹿しくていかがわしい。それなのに一つ一つの画が美しく、焼けつくような鮮明さを備えている。その上、崇高な雰囲気まで漂っているのだから不思議なものだ。

「私は預言者なのかもしれない。いつの日か、孔子マホメッド、釈迦やキリストが私の元を訪れることを想像することがある」(映画のチラシより)

 本作の撮影中、ホドロフスキーはこのように語っている。何様なんだこのおっさんは……そうツッコみたくもなるのだが、このような口ぶりは本作のDVD特典のインタビューでも伺うことができる。詳しくは覚えていないが、「これは無限を象徴しているのさ(笑)」みたいなことを楽しそうにくっちゃべっていた。そのひげ面がこれまた胡散臭くて、映画監督というよりペテン師か、そうでなければ宗教家のパロディのようだった。そんな印象もあってか、僕はホドロフスキーキリスト教神秘主義もさほど信じておらず、観客を煙にまくことを楽しんでいるように思えてならない。
 本作の前半が怒濤の勢いでありながら、後半がいくぶん地味であり、そしてあのラストへと行き着いてしまったのも、ひょっとするとそんな彼の態度から出たものではないだろうか。俗世を彩る虚飾とそれを修行によって剥ぎ取るまでの過程を、過激で幻想的な映像で描き、その過程で映像自体が次第にストイックになっていく。その果てに辿り着くあの放り投げるようなラストシーンによって、映画そのものの虚飾を剥ぎ取ってしまう。もし新興宗教の教祖ならばここで「さぁ我らが神を信じるのだ」とでものたまうのだろう。何か他の価値観を提示し、観客を彼らの宗教に勧誘するに違いない。だがホドロフスキーは、宗教を茶化すだけ茶化し、観客を陶酔させるだけ陶酔させながら、真に信仰に値するものがあるのかということには答えない。ただぞんざいに「還俗せよ」いうのみだから、何ともまあイジワルなものである。

 同監督の『エル・トポ』は西部劇ともつかない珍妙な作品でありながら、描かれるドラマはまだ解り易く共感し得るものがあった。また本作の次に製作された『サンタ・サングレ』は、彼自身が言うように商業映画を意識して製作されたことが伺える。その間を埋める本作は、イメージ先行の物語を最大限に推し進めていて、ジャンル映画の後ろだてを持たない(今でこそカルト映画というジャンルがあるが)。とっつきにくい作品だ。僕としても『エル・トポ』の方が好きだ(ちなみに『ファンド・アンド・リス』はいささか退屈だった)。

 だけど映画慣れしてる人ならぜひ一度観ておくといいと思う。ここまで好き勝手にやってる作品も稀有と思うので。


ホーリー・マウンテン HDリマスター版 [DVD]ホーリー・マウンテン HDリマスター版 [DVD]
(2011/03/04)
アレハンドロ・ホドロフスキー、ホラシオ・サリナス 他

商品詳細を見る