タケイブログ

ほぼ年1更新ブログ。

アンドレイ・タルコフスキー『惑星ソラリス』

 昨日は久々に新文芸座のオールナイト上映を観にいった。上映作品は『惑星ソラリス』『ストーカー』『鏡』の三本、アンドレイ・タルコフスキー特集である……のだが、後ろの二本でまるまる寝てしまって結局、単なる『惑星ソラリス』の再視聴となってしまった。とはいえ劇場の大画面で観れたので良かったと思っておこう……。
 あらすじは省略。SF的な設定を土台としつつも、おぞましさと切なさと美しさが同居している名作だった。
 二点、今回の鑑賞で気になった点を挙げる。

タルコフスキーの映像には長回しが多くて淡々としていると思っていたが、記憶の中の印象と違っていた。確かに長回しなのだけど、フレームの中心に人物を据え、その移動を追っていくようなカメラワークが多い。ここ最近観たものでは、テオ・アンゲロプロス監督作『蜂の旅人』が長回しを多用した作品だった。ただ『蜂の旅人』の場合、ロングショットで広々とした情景を映し、その中での人物の移動を映しているから、カメラ自体の動きは大きくない。前者のカメラワークが登場人物を中心にすえ、叙情的な印象を与えるのに対し、後者は情景をメインとしていて叙事的な印象だ。それぞれ主観的、客観的と言い換えても良いかもしれない。
 『惑星ソラリス』におけるこのカメラワークは、謎めいた宇宙船の閉息感、その中を徘徊する不安な心理、不可解な現象の描写等に使われている。そしてこれは、オープニングとエンディングのシーンにおけるカメラワークと皮肉な対比をなしているように思う。 宇宙ステーション内部の病的な閉鎖空間に外部が存在する。しかしそれが必ずしも晴れやかなものであるとは限らない。本作のロングショットの使い方は残酷きわまりない。

・本作は所々に画面にグレーのフィルターのかかるシーンが存在する。このフィルターをかける基準がどうにもよくわからない。特にバートン報告のビデオ映像がとても奇妙だ。
 バートン報告とは、謎の惑星ソラリスからかつて帰還した宇宙飛行士バートンと科学者たちの問答のことである。主人公のクリスはその記録映像をリビングで観る。はじめはその映像は画面内画面(テレビ)に映っている。こうしてクリスが記録映像を観ていることが示した上で、その後は直接私たちが観ている画面上にバートン報告の映像が映し出される。
ところがこれを素直に記録映像として観るといささか不自然だ。たとえばこの映像がTVニュースの記者会見のようなものであるとすれば、ひたすらバートンを映しているはずだ。もしくはドキュメンタリーのように、バートンと科学者たちのやりとりを、交互にカメラで追っていくのかもしれない。しかしここでは、会話のたびにバートンを正面に捉えたカットと、科学者側を正面からとらえたカットが切り替わる。つまり通常のドラマと同じようなカット割になっているのだ。主観的な過去回想か記録された映像なのか、非常に曖昧でわかりにくい。
 単に記録映像から、予告なしにそのまま回想に映ったと捉えてもよいのかもしれないが、バートンからのテレビ電話のシーン等も同様に曖昧なシーンは他にも存在する。また作品世界内の映像だけでなく、作中の現実世界そのものにもフィルターがかかっている映像も少なくない。これは一体なんなんだろう。

 本作の題材として「記憶」が扱われていることを考えると、上に述べた二点はやはり主観の危うさ、現実と夢の混濁、病んでいく精神の表現と捉えるのが一番楽なように思う。そんな単純な話でもないとは思うけど。

 あと余談だけど、主人公が宇宙ステーションへと到着するシーンの省略ぶりと唐突な小人の登場には笑ってしまった。あれは監督の茶目っ気に思えてならない。