タケイブログ

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『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』感想

「大人になりきれない大人」に突きつけるべき問いはただ一つ。

お前は大人になりたいのか、それとも子供のままでいたいのか、である。

未来へ踏み出すにせよ過去にすがり続けるにせよ、いったん自分の現状を直視してはじめて彼の選択は切実さを帯びる。カタルシスや悲哀もまたそこに生まれるものであろう。その点、本作終盤での主人公と敵の対話は捻れているとしか言いようがない。

街の人間を自分達に都合の良い偽物に入れ替える「敵」。彼らの目的は人類を「大人」にすることだ。しかし彼が主人公のゲイリー・キングにもちかけるのは「真っ当な大人になれ」ではなく「子供のままでよい」という提案である。

対するゲイリーは敵の言葉を一笑に付す。だがそもそも彼がかつての悪友どもを集めたのは、パブ巡りによってあの輝かしい高校卒業の夜をやり直すためである。過去と酒にすがる哀れな酔っぱらいにこの甘い提案を拒否する理由はない。

あるいはパブ巡りをやり遂げることで彼は先に進もうとしたのかもしれない。だが結局、そうならないのはラストを見ての通りである。彼が敵に切って見せる「俺は俺一人だ」という大見得がどこまでも空しい。

ショーン・オブ・ザ・デッド』『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』、そして今作『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』。エドガー・ライト監督によるこの三作は、いずれもジャンルもののパロディを盛り込んだ趣味性の高い作品だ。

それでも軽快で勢いのある編集に、すっとぼけたギャグ、そしてサイモン・ペッグニック・フロストの主演コンビの魅力故楽しくみれる。とりわけ前二作では、「大人になりきれない大人」のテーマがコメディに程良い風味を添えていた。

三部作の締めとなる今作では、そのテーマを前面に出したことが一方で仇となっている。好きなものを盛り込みたいという子供っぽさと、三部作を終わらせねばならないという大人の義務感。その帳尻を合わせ損ねたために脚本は破綻し娯楽性を損ねるに至ったのだと。僕にはそのように思えてならない。