タケイブログ

ほぼ年1更新ブログ。

2021年映画鑑賞総括

どうもほぼ年一更新ブログです。

毎年書いている個人映画ベスト記事ですが、この一年はプライベートがあまりに激動だった。今回ばかりはお休みします。

自分が考えてきたことの足跡くらいは残しておきたかったんで、できれば手を抜きつつも書こうかと思いましたが。 まあ生きている限りは何度でも語り直す機会があるでしょう。

せめて自分のための記録としてタイトルだけ挙げときます。どれも面白い映画ですよ。

 

■映画鑑賞本数&総合ベスト10

新作:31本
旧作:25本
合計:56本

コロナ禍の今年も旧作・新作、劇場公開作・配信作、ドラマシリーズなんかも数に含めてます。あくまで僕個人の映像体験まとめのつもりで書いています。

2021年個人ベストは以下の通りとなります。 

 

1. フリー・ガイ

2. モータルコンバット

3. マトリックス・レザレクションズ
4. エターナルズ
5. ドント・ルック・アップ

6. わたしは、ダニエル・ブレイク
7. アンカット・ダイヤモンド

8. 最後の決闘裁判

9. ハロウィンKILLS
10. ゴーストランドの惨劇
 

選外作品としては『OLD』『House of Gucci』『ワンダヴィジョン』『ザ・スーサイド・スクワッド』『地獄が呼んでいる』

 

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

Twitterへの復帰と休止中の出来事について

この一か月Twitterから離れていたのですが、その間に上の状態が悪化して恐慌状態に陥りました。その結果、生活に支障が出るレベルで心身に異常が現れました。

平たく言えば、何らかの精神疾患の兆候または初期症状が出ました。

「何となく不安だ」といった漠然とした気分ではない。身体的反応としての緊張や不安がある。上のツイートの時点で既に体の震えや強張りを感じていました。それが今回ピークに達した。短期間ではありますが、正常の範囲を逸脱した行動も現れました。

今回直接の引き金となったのはインターネットのトラブルでした(より厳密にはその様子を見ていたであろう方の僕へのエアリプです)。過去に雇用問題等で似た状態になった時はいずれも軽微でしたし、またトラブル自体をその都度解決できていたため、特に大きな問題にもなりませんでした。しかしこの一年、プライベートでの環境の変化やコロナ禍の状況が重なり、心身の不調が長期間続いていました。そうした状況と運悪く重なっただけで、結局の所は時間の問題だったかと思います。

残念なことにまだ通院できていません。現在は海外在住ですが、医療システムの違い、ビザステータスの問題、これまで全く大きな病気をせずにいたこと等が重なり、一番最初の手続きで手間取ってしまいました。ただ現在は心身共に落ち着いています。会社にも正直に話して仕事の量と内容を変えてもらっていましたが、それも少しずつ元に戻してもらっています。家族や友人にもサポートしてもらいました。

実感としてはほぼ元通りですが、今現在も引き続き経過を見ています。

症状について

今回出た症状を簡単に説明しますと、以下の通りとなります。

一回切りや短期的なもの

  • 長期間にわたる全身の緊張と不安。肩が強張り、心臓がばくばくと鳴る
  • 集中力の喪失。考え事を全く止められず、物事に全く手がつかない
  • 文字が読めなくなる。何度音読してもすべきことがわからない
  • 恐慌状態。足場がぐらつく。叫び出しそうになる
  • 軽い躁状態と誇大妄想
  • ぶつぶつと喋り出したくなる
  • 聴覚過敏と視覚過敏。被害妄想
  • 気分の浮き沈み。涙が出る

長期的に継続したもの

  • 集中力の欠如。複雑な仕事の分解にやや難がある
  • 不眠と起床時の心拍数の上昇
  • 記憶のフラッシュバック。涙が出る。突発的な緊張と不安
  • 胸につかえる感覚。考えを胸に留めておけず声に出したくなる
  • 言葉がすらすら出る。脳と口、脳とキーボードが直結する感覚
  • 喋りの速度とコントロールが向上。英語も上達
  • 文字を読み返すのを面倒に感じる

家族や親族に精神疾患の経歴があることから、これらの症状を自覚した時は「ついに自分にも出てしまったか」という思いでした。私事のストレスがピークに達していた去年末から今年にかけて、体が動かなかったり気分の浮き沈みがありました。今振り返ると、あれはやはり抑うつ状態と呼ばれるものではなかったか。そんな気がします。

睡眠薬を飲んで目覚めたが、手がぶるぶるふるえるというか、そわそわした感覚がある。今起きあがったらまたパソコンでカタカタやって、それを記述したくなりそうだから、また眠るようにした。

だからなのか、目の前が散らかってる感がある。情報が多すぎる感じ。一つずつ捨てていかないと、先が見えないような気持ちになる。この切迫感や強迫感をちゃんと残しておかないと、伝わらないのではないかという思いもあり、こうして書いている。

電車でぶつぶつ言っている人たちや支離滅裂な文章をかく人たちは多分、吐き出す先のない言葉を実況してるんです。自分が持っているボキャブラリーと語り口、ナラティブでしかそれらを語ることができない。

発症中にとった個人的なメモからです。まず始終身体が落ち着かない状態があった。頭の中にも言葉や音が渦巻いている。キーボードを叩いたり口に出したりすることによって、それらを実際に目や耳で確認しながら不安を抑えようとする感じでした。

父に電話した。あーあ、許してほしい、ごめんなさい。そういう思いになる。誰も責めていないのに、自分のうちにある世間の目が、それを責めているように思える。

「できなさ」の感覚が自分を慌てさせて、失敗を繰り返して、さらに「できなさ」を加速させ、パニックになる。これが「誰かが邪魔してくる」感覚につながるんだと思う。 

やらかしてしまった感覚や気分の浮き沈みもあった。自分が「話の通じない人」に落とされてしまうのではないか。そんな怖さも感じました。

まず「胸のつかえ」が感覚としてあるんです。次に、三日連続で徹夜明けで集中力が落ちるような「もや」がある。そしてこれまで書いてきたような、頭の中に「渦巻く想念」がある。それは耳から入ってくるものではないです。僕の場合は多分、自分自身の普段考えていることが口語ベースで現れる。

しかしそれを吐き出す場所が「ない」

だからPCモニターに集中してカタカタと打ったり、町の中で実際にぶつぶつ言ってしまう。また「もや」があることで目の前のことに集中できない代わりに、刺激に対して敏感になった気がしました。たとえば聴覚過敏。先ほど喫茶店で過ごしていましたが、食器の音に敏感になったり、談笑に過敏になっているのを感じました。今の所は自分とは関係ないものだと思っていますが、それでも過敏だった気はしました。大きく聴こえました。 

この時は、食器の音や英語の談笑が喧しく聴こえてきていました。耐えられずにイヤホンで耳を塞ぎましたが、スマートフォンがダークモードなのに気づかず、ふいに真っ黒な画面が目に飛び込んできて「ぎょっ」としてしまった。また単なるWi-Fi接続不良なのを理解しているのに、スワイプでの画面更新に何度も失敗して焦ってしまう。Twitterを少し覗いてみたら「黒い笑い」と言った字面が飛び込んできた。全く無関係なのは頭でわかっていても、そこで思い浮かべたイメージが頭の中で増幅されるようでパニックになりそうでした。

これらの症状や病名に関して、僕自身が何かの判断を下すことはできません。ただ自己認識としては、「僕は統合失調症になりかけている」といったものでした。一般に、統合失調症の患者は「自分が病気である」という認識(病識)を持たないと言われています。ただ初期段階では病識が存在しており、ストレスを処理できずに悪化していく中で、集中力や思考力が失われて病識が消失するのだと指摘する記事もありました。

(参考:第8回 「初期症状から急性期症状と病識の変遷」|医療法人社団博仁会 大江病院

現在の体調と対応について

本記事を執筆中の現在、自分の実感としてはほぼ以前の状態まで戻っています。胸の「つかえ」もなくなり気分の浮き沈みもない。緊張と不安が時々ぶり返すことがありますが、余計な刺激さえなければ問題ありません。

今回僕が元通りになるまでにやったことがいくつかあります。

まず何よりも先に、文章を書きました。観念的で漠然とした不安でなく、身体的反応として僕の体に異常がはっきりと出ている。これらの症状はトラウマ反応だという妄執めいた確信がありました。この問題の所在を突き止めなければならない。

通常のトラブルであれば、他人とのやり取りを通して具体的な問題として解決できる。しかし今回はそれができず、症状もこれまで以上に悪かった。仕事に支障が出たのでひとまず休まざるを得なかった。

そこで自分自身とのコミュニケーション、自分語りを一週間ひたすらに行いました。

 

 

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現在の状況から遡って、小学校、中学校、高校、大学、就職と。全自分史を行き来しながら掘り下げていった。ただ強迫的にタイピングを続けていく。集中力が完全に持っていかれているので、やるしかなかった。心臓がばくばく鳴る、体が震える、涙が溢れ出る、足場がぐらつく。そういった怖い思いに耐えながら、何とか踏ん張って記録だけは残した。とにかく書いた。そうやって何とか書き上げました。

 

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次に、書き上げた得体の知れない文章を顔も知らない人々に投げ出した。

「全然大丈夫じゃないですね。自分で自分を殴っておられる」

返ってきたメッセージを読んだ時、人生で初めて虚脱感というものを経験しました。全身の血が煙のように抜けていく。まっ白になる。一週間以上強張ったままだった身体が一気に緩んで、その場にくずおれました。しばらくの間全く動けなかった。重い身体を引きずりながら玄関まで出て、座ったまま外の空気を吸った。今後のことをどうしようかとぼんやり考えながら、また部屋に戻って、家族にまず電話しました。

その後、僕の異常を感じ取ってくださった方々がメッセージを返してくださった。それぞれに僕のことを気にかけて手助けをしてくれました。幸いにも、受け止めてもらうことができた。

少し落ち着いた後は、グループチャットを作って色々と僕の話を聞いてもらいました。自分が何に不安を抱いているのか。過去にどんなことがあったのか。また家族やこっちの友人、会社にも正直に話しました。そうやって色々な方に、現実的な手続きにまつわることから精神的な部分までサポートしてもらいました。

最初の文章が16000字。さらに躁状態でその意図を解説した文章が10000字。どちらも自分の恥部と妄執に満ち満ちた内容で早々にひっこめました。ただ僕がこれまでずっと抱いていた問題意識を整理する良い機会となりました。症状が出る度に、自分の心身の状態や考えを書き留めて説明しました。

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最後に、他の人と沢山おしゃべりをしました。自分が落ち着いてくるにつれて、たわいもない雑談から身の上話まで色々なことを話しました。字数にしたら50000字は優に超えるのではないかと思います。

こうして僕が勝手に始めたことが結果的として、カウンセリングやセラピーのような役目を果たしたのではないかと思います。そうやって命からがら現実に戻ってきました。

その最後の仕上げに向けて、今この文章を書いている所です。

セラピーの思わぬ"後遺症"

ところで今回一番驚いたことなのですが、こうした過程を経て逆に喋る能力が一気に向上しました。

「前より話すスピードが速いのに、落ち着いていて、断然聞き取りやすくなった」

直接話した人皆にそのようなことを言われました。以前は人に伝わったか不安で言葉を何度も重ねてしまうような、そんな焦りのある喋り方だった。それが今はなくなったみたいです。

また英語が前よりも流暢になりました。もちろん日常生活や仕事に十分なだけの英語力は持っていましたが、躊躇いや詰まりがなくなって言葉が自然と出てくるようになった。キーボードでも口頭でも。おかげでちょっとした挨拶や雑談、人に仕事を投げるのが大分やりやすくなりました。恐らくこれまで生きてきた中で僕自身がずっと気づいていなかった、対人不安に起因するコミュニケーション障害のようなものを抱えていたんだと思います。

その根本には家庭の問題があり、あるいはそれを継続させる人間関係があった。今回の件で自分のトラウマ、言うなればこの心と身体の内に潜む”恐怖”と向き合ったことで、そうした緊張と不安が解消されつつあるのではないか。僕自身はそう思っています。

おわりに

本記事はこれで以上となります。精神疾患にまつわる家庭の経験があり、また文字を書くのに慣れていたからこそ自分の心身の状態を記録して整理し、 何とか初期段階で踏み留まることができた。今は少しずつ回復に向かっている。

これらはあくまで自己観察と自己分析に過ぎません。引き続きゆっくりと経過を見ながら具体的な診療に向けて動いていこうと思います。ただ少なくとも、自分を治癒する道筋は自分で作って、自分自身を立ち直らせることができた。結果的にこれまで長年抱えてきた自己受容の問題も解決しつつある気がします。

物言わずにTwitterにただ戻ることで、当事者としての経験を「ない」ものとされないために。僕はこの記事を書きました。それすらも支えなしではやり切ることができなかった。家族、こちらでできた友達や会社の仲間、そして今回手助けてしてくださった顔も知らない友人達には感謝するばかりです。支えてくださり、本当にありがとうございました。

 

年女三人のゆるやかなシスターフッド――近藤ようこ『ルームメイツ』全4巻感想

還暦を迎えた三人の女性が一つ屋根の下で共同生活を始める本作『ルームメイツ』には、日本社会で女性が女性として生きることの困難と、終わりの時を見据えながらも等身大の自分を生きようとする人々の人生模様があった。約30年も前の漫画でありながら、そこに描かれた人の心の機微は決して古びることなく今日の読者を惹きつけてやまない。

待子、時世、ミハル。戦後の風景を生きた彼女達にとって、社会から期待される「女」や「母」の在り方、今の言葉で言うジェンダーロールは当たり前のものとして存在した。三人の共同生活はそこから距離を置き、己の人生を見つめ直す機会であったのだろう。待子は専業主婦を辞めて夫の下を離れ、新しく始めたヘルパーの仕事ではじめて人に感謝されるようになった。独身のまま教師を定年退職した時世は、余生を添い遂げたいと思える男性と再会した。妾の身分を貫き通してきた芸者のミハルは、待子や時世をはじめ周囲の人々に親愛の情を注いだ。とはいえ新しい生活は明るいことばかりでもない。世間体を気にする息子夫婦や親戚に文句を言われたり、自分が半端者に思えて眠れぬ夜を過ごす時もあった。

従うにせよそこからはみ出すにせよジェンダーロールは自分のあるべき姿や、あり得たかもしれない幸福のビジョンとなって呪いのごとく人生につきまとう。それらを簡単に割り切れるほどに人の思いは単純でなく、故に本作では誰の人生も否定されない。女として三者三様に ”失敗”した彼女達の人生。喜びも悲哀もありのままに、その時々に彼女達が抱いた逡巡と決断がただ受け止められるようにして描かれていた。

本作が連載されたのは1991年から1996年。小学校の同窓会で再会した年女三人がマンション暮らしを始める第一話は次のやりとりで締め括られる。

ミハル「ねえ、時ちゃん、待子ちゃん。あたしたちって「家族」かしら。」
時世「わからないけど……新しい「家庭」かもね。」
待子「そうよ!きっと家族よ!」 

翻って今日、2021年は抵抗と運動の時代である。近年のBlack Lives MatterやMeToo運動の隆盛に見られるように、現代社会に存在する差別や格差、抑圧はSNSをはじめメディアによってより一層可視化されるようになった。それまで個人の体験として片づけられてきた事柄が言語化されて広くシェアされるSNS時代。本作『ルームメイツ』はそれ以前、社会的抑圧をその身一つで受けてきた人々の個人史でもある。フェミニズムのような共通言語を持たなかったであろう三人は、自らの生活実感と決断により家族を選び直した。

彼女達三人が結んだ関係性とは言うなれば、抵抗と運動に至る以前の言葉を持たない連帯であり、ゆるやかなシスターフッドであるのだと思う。

 ※マンガ図書館Zにて全巻無料公開中

https://www.mangaz.com/book/detail/127351

鈴木捧『実話怪談 花筐』

実話怪談 花筐 (竹書房怪談文庫)

実話怪談 花筐 (竹書房怪談文庫)

 

竹書房主催による公募実話怪談「怪談マンスリーコンテスト」からデビューした著者の初単著。全37話収録。

怪談と怖い話。言われてみれば別物でありながら、その二つはしばしば混同されがちであると思う。怖い話は恐怖にまつわる話であり、怪談はあくまで怪しい話である。落とし所のない奇妙なモノゴトにまつわる語り。人が何かを「怖い」と判断したりする以前にある、不可解なものの手触りが本書収録の怪談の数々から感じられた。

個人的にお気に入りだった話を何篇か挙げたい。

「パネル」: 最も怖く、ホラーらしい映像を想像させる一篇。人の形をしたものは恐ろしい。

「宇宙人の涙」: ノスタルジックな小学校の思い出が最後の一言でざらついた後味を残す。

「石へそ」: 山登りが趣味である著者の自然物に対する目線がある。怖いものを書こうとしたらこれは書けない。

ゲルニカ」: 怪談と戦争と芸術。それらを結ぶアイデアが秀逸。

「指切り」: 絶対的他者でない、孤独に寄り添うものとしての怪異があった。

普段映画を見慣れた身から本書を読み、映像というものがしばしば意味を持ち過ぎるものだと改めて感じた。不気味、不穏、気持ち悪い、悍ましい。特にホラー映画などそうした機微の有無にかかわらず、その印象は観客により「怖い」という直感にまとめられてしまう。

しかし怪談はもっと不可解であり、それ故にパーソナルなものなんだと思う。町、田舎、アパート、博物館。至る所に奇妙なモノゴトはあるが、得体の知れない何かと通じ合ったその感触だけは物語る当人のもの。その語りを一つずつ拾い集めていくと、収録された一編「巨人」のように、不思議とまた普遍的な類話が浮かび上がってくる。そこが実話怪談の面白い所でもあるのだろう。

2020年映画鑑賞総括

どうも年一更新ブログです。COVID-19の猛威と悪政が重なり年の瀬まで悲惨なこの2020年。皆様お元気でいらっしゃいますか。

今年の映画と言えば、劇場で見たのは『Color Out of Space』『透明人間』『テネット』の三本だけ。マゼンタカラーのニコラス・ケイジをぼんやり眺め、何もない虚空をじっと見つめて、赤チーム青チーム大運動会を呆然と眺めて終わってしまった(どれも面白い映画です。念のため)『ワンダーウーマン1984』に至っては見ることすら叶わず。去年の記事で「2020年人類滅亡」などと適当書きましたが、流石にまさかこんな風に世の中が変わるなんて当時は思ってもいなかった。社会をかろうじて支えていたシステムや理念が至る所でその脆弱さを露呈する。そんな何かと絶望的な一年でした。

それでも自分が触れたものはなるべく言葉にしておきたい。そんな訳で今年の個人映画ベストです。去年の記事は↓からどうぞ。

2019年映画鑑賞総括 - タケイブログ


■映画鑑賞本数&総合ベスト10

新作:21本
旧作:33本
合計:54本

例年は新作映画のみで個人ベストを出していますが、僕が今住んでいる地域はロックダウンの影響により通算4か月以上劇場公開新作が見れていない状況です。代わりにNetflix配信映画が観た映画の大部分を占めていたので、今年は新作/旧作の区別をつけずに選びました。

2020年個人ベストは以下の通りとなります。 

 

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1. オールド・ガード (The Old Guard)

2. 透明人間 (The Invisible Man)

3. 彼らは生きていた (They Shall Not Grow Old)

4. ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから (The Half of It)

5. TENET テネット (Tenet)

6. シカゴ7裁判 (The Trial of the Cicago 7)

7. もう終わりにしよう (I'm Thinking of Ending Things)

8. トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして (Disclosure: Trans Lives on Screen)

9. 消えた16mmフィルム (Shirkers)

10. FYRE:夢に終わった史上最高のパーティー (Fyre)

 
■各作品へのコメント

● 1. 『オールド・ガード (The Old Guard)』

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長年映画ベストを出していると自分の嗜好と価値観が概ね定まってくるものですが、今年の『オールド・ガード』ほどにヒューマニズムを留保なく、それでいて誠実に描いたアクション映画はこれまで観た覚えがありません。人類史の裏で暗躍してきた不死身の傭兵部隊が活躍する本作は、現代ミリタリーとファンタジーが融合した漫画的な世界観に、銃撃や剣劇を盛り込んだ激しいアクションが魅力的。豪華な美術と中二要素が満載だった『コンスタンティン』さながらに、刺さる人には刺さるディテールを兼ね備えた娯楽作でした。

これはネタバレになりますが、本作の中でもとりわけ印象的な場面が二つありました。一つはジョーとニッキーのゲイカップルのシーンです。十字軍遠征の時代には殺し合っていた二人は長い時を経て愛を育んだ。兵士達に捉えられて車で護送される途中、ニッキーの無事を確認しようとするジョーを兵士が「あんたの彼氏か?」と茶化します。するとジョーは兵士に「ガキだな」と返し、ニッキーへの愛を潤んだ目で、しかし美しい言葉で堂々と語ります。そして熱いキスを交わすんです。それまで笑っていた兵士達は言葉を失い、二人を引きはがすことしかできなかった。すごくないですか。

もう一つは傷ついた主人公が立ち寄った薬局で店員さんに助けられるシーン。その店員さんが「助けるのに理由は関係ない。今日私が助けたあなたは明日別の誰かを救う。人は孤独じゃない」とかさりげなく言っちゃうんです。通りすがりのお姉さんがですよ。まじすごくないですか。

B級映画のつもりで本作を見始めて、見終えた後は正拳突きを食らったような気分になりました。『オールド・ガード』のこの率直さって、「長い目で見れば人類は必ず良い方向へ向かっていく」という人間への信頼なしではおよそ描けるものでないと思うんです。古くはシニシスト、昨今では冷笑系と呼ばれるように、より良い社会へ向かおうとする小さな歩みを否定したがる手合いは世に尽きない。しかし人類史と共に生きてきた不死者の視点に立てば、変化はいつだって人の歩みが連なり、重なり合った所に生まれるもの。だからこそ短命なる人間の私達もまた、真善美を奉じて歩みを進めることが大事なのではないかと。本作を見てそんなことを思いました。


● 2. 『透明人間 (The Invisible Man)』

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コントロールフリークな彼氏が透明人間となり恋人を陰湿なハラスメントを仕掛けるリー・ワネル監督版『透明人間』。周囲に信じてもらえず社会的に孤立し、心理的に追い込まれていく主人公の姿に胃がキリキリする映画でした。今年劇場鑑賞できた数少ない作品のうちの一本であり、今振り返ってみても非常に出来の良いホラーだったと思います(観た直後の感想はこちら

言うまでもないことですが、不可視の存在を扱ったり心理的緊張を演出するホラー映画では、登場人物が「気が狂ったんだ」と疑われてしまうシチュエーションが割と多い。それどころか怪奇現象として描かれたものが実はヒロインの妄想、あるいは不安の象徴的表現だったという作品もあるくらいです。内面にまで立ち入られて妄想だと片づけられる「見られる」側の立場の弱さ、「見る」ことの暴力性や嗜虐性というものをホラー映画の観客は多かれ少なかれ共有しています。

本作『透明人間』はそうした観客との共犯関係を逆手にとるクレバーな作品でした。観客の視点からは「見えない(判断できない)」情報を残しておくことで、「見る」側の私達は一瞬「彼氏は本当にDV男だったのか?」という疑いを抱いてしまう。その構図がDVとセカンドレイプというテーマとそのまま重なるようになっている。

前作『アップグレード』からもリー・ワネル監督の才気がうかがえますが、今作で彼のアプローチは作品のテーマを確かなものにしていたと思います。もはやキャラものかエログロしかなかった古典を再解釈したその手腕は見事。次回作も大いに期待しています。


● 3.『彼らは生きていた (They Shall Not Grow Old)』

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ピーター・ジャクソン監督は『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズで有名ですが、LotR以前に『光と闇の伝説 コリン・マッケンジー』というTV番組を撮っています。映画文法の基礎を築いたD・W・グリフィスよりも前にニュージーランドにスペクタクル映画を撮り上げた男がいたという。そんなホラ話をドキュメンタリーの手法でもっともらしくでっち上げる、今でいう所のモキュメンタリー作品です。またLotR自体、トールキンが中世ヨーロッパを元に一から作り上げた架空の世界をCG技術で再現したような作品でした。今作『彼らは生きていた』もまたドキュメンタリーでありながら、歴史のエッセンスから世界を再構築するというPJの仕事の延長線上にある映画でした。

第一次世界大戦の記録映像を最新テクノロジーでデジタルリマスターした本作は、コマ落ちした白黒映像から始まり、兵士達が前線へと辿り着いた所で映像が一気に変わる。画角が広がり、フィルムが色づき、フレーム数が上がる。隊列は地を踏みしめながら行軍を進め、カメラを見つめる兵士一人ひとりの顔が鮮明に映り込み、そして兵士達がざわざわと喋り出す。まるで戦争に浮足立っていた当時の若者を追体験するかのように、どこか遠くにあった戦争が臨場感を持って迫ってくるのです。写真彩色や映像のフレーム補間等、このレストアされた映像にAI技術が用いられていることは想像に難くありませんが、音声の方は一体どうなっているのか。ナレーション代わりに使われているのは実際の帰還兵のインタビュー音声、会話音声の方はどうやら読唇術のプロが記録映像から会話を解析し、それを元に録音した音声をリップシンクさせたものだそうです。

最新技術と多大な労力をつぎ込んで再構築されたこの映像の感触を「リアルだ」と言っていいものか、正直な所僕はわかりません。歴史ドキュメンタリーとしてWW1全体を俯瞰する視点が本作にはなく、接ぎ合わされた帰還兵たちの語りも「行きて帰りし物語」さながらのストーリーを踏んでいる。高解像度・高フレームレートの映像が当たり前のようにやり取りされる現代において、それはむしろフィクションの側に属する想像力ではないのかと。同技術を見慣れていないこともあるとは思いますが、受け手側の想像力や知識、情報とは全く異なる形で間隙を埋められた記録映像というものを、僕個人はまだ上手く消化できていません。

ただ少なくとも本作が歴史と私達の現代の間に想像力をつなぎ、ドキュメンタリーの可能性を拓いた作品であることは間違いないかと思います。『1917 命をかけた伝令』『ワンダーウーマン』『戦火の馬』等、世に数あるWW1映画と見比べると新たな発見があるのではないでしょうか。

 

● 4. 『ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから (The Half of It)』

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中国系移民の女子高生エリーがアメフト部の補欠選手ポールからラブレターの代筆を頼まれる。その相手は学年のマドンナ的存在のアスターアメリカの田舎町を舞台にすれ違いの三角関係を繰り広げる青春映画の本作。ストーリーは古典的なラブコメを思わせますが、何よりもまずその矢印の向きに注目です。

エリーはレポートの代筆業でお金を稼ぐ秀才文化系女子。母を亡くした鉄道員の父を支えるために大学進学は諦めている。「ポテトをシェイクにつけて食べるのが好き」なポールはソーセージ屋を営む大家族の四男坊。学はないが素直な努力家でいつか自分の店を持つのが夢。彼が惚れたアスターもエリー同様に文学や芸術を愛しているが、周りの大人やクラスメイトの期待に応えるばかりで本当の自分を隠している。全く縁のなかったこの三人が文通を通して関わり合い、それぞれのかたちで愛を通わせることになる。

アリス・ウー監督の本人がアジア系セクシャルマイノリティーであるからなのか、この内容が後腐れなくキャッチーに仕上がっているのは本当に強いと思いました。カトリックの保守的な雰囲気が残る田舎町はまさに『出口なし(サルトル)』。しかし彼らの交流がポジティブな変化を生み、彼らの人生の先にほんの少しの希望がひらけていく。その爽やかな後味がとても良かったです。

それとエリーとアスターがお互いカズオ・イシグロ日の名残り』が好きだと知るくだり。高校ではじめてよき理解者を得る経験は共感するなり憧れるなりする人多そうだなと思いました。

 
● 5. 『TENET テネット (Tenet)』

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大枠は平凡なスパイものだわ、セリフ聞き取りづらいわ、SF要素は大雑把だわ、いろいろ問題ありな映画だなとは思いつつも、それでもやはり強い印象を残した一本だったなというのが本作に対する正直な感想。あんな見た目に珍妙なもん見せつけられたら語ったり真似したくなったりもしますわ……とそんな訳で僕自身もふせったーで適当にいろいろ書きました。

国によってそれぞれ事情は違うかとは思いますが、ロックダウンにより劇場での映画鑑賞ができなかった期間が長く、また営業再開後もソーシャルディスタンス遵守のために鑑賞環境ががらりと変わってしまった。そうした中で『テネット』は観客の足を劇場に呼び戻してくれる映画であることが期待され、実際その期待に応えた作品であったかと思います。時代の共通体験としての映画の在り方を改めて感じる機会となりました。 

ちなみに『テネット』解説系動画の中でも、たてはまさんのチャンネルはストーリーの整理も丁寧だし物理学関連もカバーしていたので個人的におすすめです。

www.youtube.com

 

● 6. 『シカゴ7裁判 (The Trial of the Cicago 7)』

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1968年アメリカを舞台に、ベトナム戦争への反対運動デモを共謀した容疑で逮捕された7人の”政治裁判”を描いた本作。判事が裁判を筋書き通りに進めようとする理不尽な状況下、被告の学生やヒッピー、活動家、ブラックパンサー党員が次第に団結していくさまはまさに左派アベンジャーズ。痛快なエンターテイメント作品でした。

とにかくアーロン・ソーキン監督脚本は情報整理の手際が良く、この内容でも全く混乱なく見られることに驚いた。役者陣も素晴らしく、特にマーク・ライランスが演じるクンスラー弁護士が好きでした。判事の横暴を看過できずに次第に真面目になっていく所がかっこいい。また権威をおちょくらずにはいられないヒッピーのアビーの軽薄さと知性が同居する感じも素敵(アビー役のサシャ・バロン・コーエンが『ボラット』を演じていたのを思い出して何となく納得)

ただまあエンターテイメント流の単純明快さはあって、たとえば徹底した判事の悪役ぶりにはここまで横暴で厚顔無恥な人おる? ともちょっと思った(いやでもいるんだよ実際。まかり間違って権力持っちゃった人)。また同じ左派の中でも相違があり時に衝突もするが、最終的には正義の下に団結できるんだという部分はストレートにアメリカ映画だよなあとも。

こうしたエンタメとはまた別の切り口から、アメリカの法の世界でリベラルの理念がどう実践されてきたかを知りたい方は是非ドキュメンタリー『RBG 最強の85才』も併せて見てください。ビル・クリントン大統領に指名されてから死去するまで27年間に渡り連邦最高裁判事を務めたルース・ベイダー・ギンズバーグ。彼女は判例を積み重ねていって女性の権利向上に貢献し、アメリカにおける自由と平等の象徴的存在となりました。高齢ながらにして知性も根気も体力も兼ね備えたギンズバーグ、チャーミングで大変カッコいい方ですよ。

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現役女性最高裁判事“最強の85歳”の半生描くドキュメンタリー/映画『RBG 最強の85才』予告編 - YouTube

 

● 7. 『もう終わりにしよう (I'm Thinking of Ending Things)』

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倦怠期のカップルが彼氏の実家を訪問するも何か様子がおかしい……。『マルコヴィッチの穴』『エターナル・サンシャイン』のチャーリー・カウフマン監督脚本による帰省ホラー『もう終わりにしよう』。『へレディタリー/継承』のトニ・コレット目当てで観たのですが……思いの外きつい映画でした。

冒頭からカップルの居心地の悪い会話が長々と続き、訪れた彼氏の実家ではヘンなことばかり起こる。母は病気だったのでは? 犬がいつまでも頭を振っている? いつの間にディナーの準備ができていた? 途中で挟まれる第三者の映像は一体何なのか? ルイーザだったかエイミーだったか、とにかくジェイクの彼女(ジェシー・バックリー)の不安な心情に観客は付き合わされることになる。そこからの展開は勘の良い映画ファンなら何となく予想がつくかと思います。

ただ夢現を漂うような映画で解釈の余地はあるといえ、描かれている内容は「男性の老いと孤独」でほぼ間違いないんですよね。ゼメキスやカサヴェテスに始まり映画や小説からの引用が多々あり、しかしそれらは確かな焦点を結ばぬままに放り出されている。その辺りは中途半端に知識をつまみ食いしたオタクの成れの果てを思わせるし、彼氏のジェイク(ジェシー・プレモンス)の態度がマンスプレイニング全開。インセル的感性を描き出した映画だなと思いました。希望のなさに浸らせるという点ではむしろ生温いくらいかもしれないですけども。

ところでこれは私事ですが、この一年「中学生の時に体育の単位を取り忘れて卒業できていなかったことに今更気づく」「実家に帰ったら誰もいない」「実は飛行機に乗り遅れていた」といった夢をほぼ毎日のように見ていて、『もう終わりにしよう』はその時の最悪な寝覚めの気分をまんま再現したような映画でした。そういう意味でも個人的にひっじょーーーーにきつかったです。はァ。

 

● 8. 『トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして (Disclosure: Trans Lives on Screen)』

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ハリウッドがLGBTQをどう描いてきたかを映像関係者のインタビューと共に紐解くドキュメンタリー 。映像が広める偏見と当事者たちの困難や悔しさが語られており、マイノリティ表象とステレオタイプの問題を考える上で必見の一本だと思います(観た直後の感想はこちら)。

以降の文章は本作と直接関係ありませんが、作品を見て思い出したことが二つあったので書き留めておきたい。一つは2019年公開の『IT Chapter 2』にまつわるある方のツイートです。

トランスジェンダーとハリウッド』で当事者達の口から語られているのって、まさにこのサベッジランドな歴史と現実だと思うんです。公衆の面前でプライベートに立ち入る性的な質問をされ、あからさまに嘲笑され、フィクションでは好色や変態殺人鬼として描かれてきた。マスメディア越しに繰り返し描かれるステレオタイプが、現実のマイノリティに対する差別や抑圧を強めてしまう問題が本作では指摘されていました。

もう一つは今年10月頃、「例の漫画」としてTwitter上で話題になったてつなつ氏のゲーム制作漫画を巡る議論。インディーズゲーム会社が美大生を雇って新作をつくるという内容の漫画ですが、作中で発注元が外注先に曖昧な指示でリテイクを何度も繰り返させる描写があり、「パワハラ賛美では」「やりがい搾取だ」といった趣旨の批判が上がりました。

僕自身も当の漫画に批判的でしたが、それよりも普段ポリティカル・コレクトネス的観点からの作品批判を「ポリコレ棒」と揶揄する層の反応が気になりました。オタク文化圏ではメディア表象をフラットに扱い、「これはあくまでフィクションだ」という基本姿勢がある。ところが例の漫画に対しては、労働者や下請けの立場から「この漫画を真に受けられたら困る」と翻って現実への影響を懸念する声があった。このダブスタには正直「みんな現実とフィクションの関係をわかってるじゃん」と思ってしまった。

振り返ってみるにどちらも表象にまつわる問題で、そのパブリックな性格を顕著に示す事例だったように思います。そもそも表象は英語でrepresentation。その語源はre-present(再び差し出す)にあり、日本語では「表現(描写)」「代表」両方の意味がある。描写されたものは作り手の意図を離れて世に差し出され、否応なく何かの代表として扱われることになる。だからこそ私達は「私のことを描いてくれた」フィクションにエンパワーメントされるし、不当に描かれたことに時に怒りを覚える。そしてそれ以外の人は「彼らはそんな感じなのか」と何となく受け止めてしまう。現実とフィクションはそのようにして相互に影響し合っている。

トランス女優であるラバーン・コックスは本作で「偏見への対応策とは、多様に描かれること」だと語っているように。多様に描かれるためには、まずステレオタイプや画一化した表現が認識され解体される必要がある。だからこそ現代では表象の問題に相応の注意が払われ、作品における描写の正当性が議論の俎上に乗るのだと思います。

 

● 9. 『消えた16mmフィルム (Shirkers)』

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1990年代のシンガポールで撮影されるも未完成のままに終わった自主製作映画『Shirkers(逃亡者)』。その来歴と顛末を当時の制作者本人が追ったドキュメンタリー『消えた16mmフィルム』には当時のフッテージが挿入される。フィルムに焼き付けられた異国の風景にはどこか懐かしさがありました。

『Shirkers』は当時10代だった映画少女達が制作していた殺し屋の物語です。脚本は改稿なしの一発撮り、リアリティよりも美しさを重視した表現主義的な映像、老人ホームの入居者を無断で連れ出し行われたゲリラ撮影等。その撮影手法と作風は1950年代フランスで起きた映画運動”ヌーヴェルヴァーグ”の影響を受けており、もし完成していたら『Shirkers』もまたシンガポール映画界の新しい波となっていたことだろう。本作に挿入されたフッテージには自主製作映画特有の瑞々しさが感じられ、そのような評価もあながち間違いではないように思えます。

それにもかかわらず『Shirkers』の制作はなぜ途絶えたのか。実は撮影作業が完了し、編集作業のみを残した段階で、本作の監督を務めたジョージ・カルドナが70巻分のフィルムリールを持ち逃げしてしまったのです。

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このジョージなる男は映画製作講座の講師であり、普段から少女達の指導的立場にありました。映画俳優の所作で立ち居ぶるまいを塗り固め、普段から高名な映画監督とのコネがあることを嘯いていた。『Shirkers』の脚本兼主演を務めたサンディ・タン(本ドキュメンタリーの監督でもある)は、作家然としたジョージに当時抱いた憧れとフィルムが失われたショックを赤裸々に語っています。

他人の夢に寄生しながら己の故を延命し、いざその労苦が実を結びそうになるとそれを潰しにかかるという。関係者へのインタビューから浮かび上がるジョージの人間像とは、結局そんなありふれたクソ野郎でしかなかった。ジョージの死後、70巻のフィルムリールはサンディの手元に戻り、『Shirkers』はフィクションではなくドキュメンタリーとして仕上げられました。

ある作品が世に放たれることの必然性は、特定の時と場と流れの中にしか存在しない。25年の月日を経て、当時のサンディたちが注ぎ込んだ熱と映画のかたちはもはや永遠に失われてしまった。本作はあり得たかもしれないシンガポール映画史の記録であり、失われた青春の足跡であり、そして子供の夢を食い物にする大人の姿を映したホラー映画なのです。

  
● 10. 『FYRE:夢に終わった史上最高のパーティー (Fyre)』

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2017年にバハマで開催されるも大失敗に終わり、訴訟にまで発展したFYREフェスティバルの内幕を映したドキュメンタリー。「カリブ海で前代未聞のフェス!セレブもむっちゃ呼ぶ!俺達は夢を売るんだ!」とインフラの無い島に人を呼び込むその大前提から既に破綻の予感がする通り、本作はまるで仕事の進め方のアンチパターンの見本市でした。

「何かでっかいことをやりたい」レベルで中身のないままFYREフェスはSNSマーケティングで大々的に喧伝され、本番が近づくにつれ客の期待が日に日にインフレしていく。行き当たりばったりの指示の下で仕様も毎日ころころ変わる。それでも「きっとやりきれるはず」だという淡い希望に誰もが縋り、運営陣は根性でデスマーチを乗り切ってしまう。その結果フェス本番がどうなったかは映画を観ての通りです。興行ビジネスに限らずソフトウェア開発等、仕事で何らかのプロジェクトに携わった経験のある方なら誰でも本作に共感できるはず。僕自身仕事で失敗したプロジェクトに参加したことがあり、当時の苦々しい経験を思い出しながら観ていました。

フェス本番の惨状を「パリピざまぁwww」と嘲笑するも一興。けど私達自身はどうなんだとやっぱり考えさせられてしまう。今自分は沈みゆく船に乗っているんじゃないか。人によって船は会社かもしれないし国かもしれない。そこから一抜け二抜けもできないから日々目先のことにかかずらわっているだけではないかって。ただそうした漠然とした不安に絡めとられると結局、FYREフェスの主催者ビリー・マクファーランドみたいなペテン師にまた引っかかることになってしまうんですよね。堅実さを欠いた野心はどんどん現実から遊離して最後には瓦解する。『FYRE』はそのことを反面教師的に教えてくれる作品でもありました。

 

以上、2020年映画個人ベストでした。選外作品としては『Color Out of Space』『タイラー・レイク 命の奪還』『アメリカン・マーダー』『RBG 最強の85才』『コラテラル』『シーラとプリンセス戦士』『コブラ会』『ベスト・キッド』『殺人の追憶』。とにもかくにもNetflix尽くしな一年となりました。

最後に、mixi時代からのものも含めてこの映画ベスト記事も今年で10年目となりました。ベスト記事はあくまで私的な感想として、その年の自分を記録するつもりで書いています。それにもかかわらず毎年読んでくれている友人知人の皆様には本当ありがとう。今更初めて読んでくださる方がいるかはわかりませんが、もし一読して何かしら引っかかるものがあったのであれば幸いです。

それでは皆様良いお年を。

 

※本記事の画像引用元: IMDb: Ratings, Reviews, and Where to Watch the Best Movies & TV Shows 

2019年映画鑑賞総括

皆様いかがお過ごしでしょうか。2019年もいろいろありましたね。

今年は『アベンジャーズ :エンドゲーム』でMCUフェーズ3が完結、SWシリーズが『スターウォーズ:スカイウォーカーの夜明け』でシリーズ完結、それと年の瀬に入って映画秘宝が来年1月に完結……もとい休刊の報。なんなら映画ボンクラもシネフィルも映画ファンも滅びよくらいの事は思ってる身の上ですが、文化を支え、その一角を担っていたものの終わりがこうも一気に押し寄せると、これはもしや2020年人類滅亡の予兆なのかなと思ったりもする。来年は東京オリンピックもありますし。

とはいえ日々は終わってくれないし、ならばせめてもこの一年は締め括っておきたい所。そんな訳で今年もやります2019年映画個人ベスト10。2018年以前の記事は↓からどうぞ。

2018年鑑賞映画総括 - タケイブログ


■映画鑑賞本数&総合ベスト10

新作:51本
旧作:11本
合計:62本

海外生活を始めてから映画を観る本数がぐっと減りましたが、今年は割と数を観れたあたり比較的落ち着いた一年だったなあと。例年通り邦画やアジア映画を観る機会はほとんどなくて、またシネコンで『プロメア』『このすば~』といったアニメ映画はやってたものの見逃してしまいました。

それはさておき2019年個人ベストは以下の通りとなります。 

 

1. ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密 (Knives Out)
2. バンブルビー (Bumblebee)
3. パラサイト(기생충)
4. スノー・ロワイヤル (Cold Pursuit)
5. Ready or Not
6. Stockholm
7. The Art of Self-Defense
8. フリーソロ (Free Solo)
9. ターミネーター:ニュー・フェイト (Terminator: Dark Fate)
10. スパイダーマン:スパイダーバース (Spider-Man: Into The Spider-Verse)


■各作品へのコメント

● 1. 『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密(Knives Out)』


Knives Out Trailer #1 (2019) | Movieclips Trailers

よく出来ていて手堅く面白い作品(大体低予算系になる)を毎年一本は入れたいと思っていて、今年は『Child's Play』『Happy Death Day 2U』『Crawl』『Ready or Not』あたりから出すつもりでした。ところが本作『ナイブズ・アウト』には、それらの類の映画に通じる巧みさを持ちながらキャストも美術も豪華でぶっちゃけ華があった。とりわけ殺人ミステリからジャンルをずらしつつブラックコメディをやる、最後はきっちり伏線回収&謎解きに着地する脚本が完璧でした。

本作の容疑者は一代で財をなした推理小説家の血族。彼らは白人系の金持ちであり、言ってしまえば本作は"White priviledge(白人特権)"の話でもありました。彼ら富裕層がトランプ政権や移民問題を話の種にしていたり、その渦中で南米系の看護師が重要な役回りを演じていたりする等、ポリティカルな要素が割とストレートに出ています。それらはストーリーに不可欠な要素だし、小気味の良い皮肉として作品の彩りともなっている。なお『ヘレディタリー/継承』のトニ・コレットも『キャプテン・アメリカクリス・エヴァンスも今作では前作の役柄とはうって変わって、鼻持ちならない金持ちを演じていて本当に素敵ですよ。

「他がダメでも自分のパーソナルな部分を突いてしまう」作品を僕自身つい評価しがちなんですが、本作はそれらに一切引っかかることなく純粋に面白かった! 生粋のエンターテイメントもまた映画を観る楽しみだなーと再認識させてくれた作品ということで今年の一本として挙げた次第です。

(↓は本作の衣装デザインの妙が伝わる良記事。ネタバレなし)

www.hollywoodreporter.com


● 2. 『バンブルビー(Bumblebee)』


Bumblebee (2018) - New Official Trailer - Paramount Pictures

自動車は交通手段でありながら社会的ステータスであり、旅の足でもありプライベート空間でもあり、また車を持つことや乗れることそれ自体が大人の証となるもの。車とはまさに子供から大人への変身という青年期の象徴だと言える。『トランスフォーマーフランチャイズの中だと2007年の映画第一作目がお気に入りなんですが、1はそうした車というものへのプリミティブな憧れと「イカす車で君もモテモテ!」というあけすけな欲望が見ていて気持ち良かった(主演だった当時のシャイア・ラブーフのイケてなさ具合がまたいいんです)。ただ以降のシリーズになると戦いの規模がやたらでかくなり、ただの大学生だったはずの主人公が防国の戦士のごとく覚醒してしまった。

そうしたマッチョイズムこそがマイケル・ベイ監督の持ち味といえ、「車に変形する人型機械生命体が地球でチャンバラ」なんて子供向けおもちゃの世界に仮託するものかといえばどうなんだという気もする。その点から言えば、シリーズのスピンオフである今作『バンブルビー 』は形は違えど1のパーソナルな規模の物語に原点回帰したものだった。鋼の巨体の頼もしさと裏腹に優しく愛らしい動きを見せるバンブルビー。泣き虫ながらも芯が強く、ちっぽけでも誰かのために動けるチャーリー。孤独なふたりが星を越えて出会い、互いが互いを守り寄り添い合って、最後はそれぞれの世界へと帰っていく。懐かしさ溢れるSFジュブナイル映画であったなあと(というか『E.T.』ですよねこれ)

また監督のトラヴィス・ナイトがアニメーション出身なのもあってか、動きから構図までトランスフォーマーという非現実の魅せ方が上手かった。緑林、砂漠、暗闇、ビーの原色ボディが場所問わず目を引くし、どこを切り取っても画になる構図やポージングが満載。それでいて皆バリバリ動いて変形シークエンスもがっつり見せてくれる。映像演出に誤魔化しがない。派手な色合いをしたロボの巨体がぶつかり合うさまにロボットボクシングが題材の『リアル・スティール』以来の「ロボが殴り合ってる!」素朴な感動がありました。

ロボと少女と80年代レトロ。『シャザム!』なんかもそうですが、僕自身の世代的にもいろいろと思う所はあって感慨深い映画でした。


● 3.『パラサイト(기생충)』


Parasite - Official Trailer (2019) Bong Joon Ho Film

実はポン・ジュノ監督作は未見だったのですが、笑いありスリルあり文化風俗あり現代社会批評あり、後半にかけてどこに転がるかわからないハラハラ感が面白かった。駆け込みで見て良かったと思います。監督本人もネタバレ厳禁と言ってますし、とりあえず観た直後のあたりさわりない雑感を書き散らすことにします。

・今年自分が観た映画の中だと『ナイブズ・アウト』『Ready or Not』が"Fuck rich people"だったし、『万引き家族』や『ジョーカー』は貧困層に焦点が当たってたし、『US』なんて貧富格差に加えて「地下」「家族」というモチーフまで本作と共通していて何だかこう同時代性みたいなものを感じてしまう。ただそれら諸作の中でも、今作『パラサイト』はとりわけ格差の社会構造の視覚化に力を入れていたように思います。たとえば高台にある金持ちの家と貧乏一家の住む半地下の対比のように、上から下へ、位置関係によるヒエラルキーの演出がこれでもかって位わかりやすい。また金持ちの家はスペースがあり整然としている一方、貧乏一家の住む狭い半地下に物がごちゃごちゃしてたのもリアリティがあった。こうした画がコミカルなやりとりの中でも常にあるから後半以降の展開には驚きつつも納得するばかりでした。

・金持ち一家の娘が絵に描いたようなアジアの美少女で、「え、いいのかこれ」と一瞬思ってしまった。このタイプの容姿もキャラもハリウッド映画だと全然観ない気がする。なお貧乏一家の娘のサバッとした感じの方が映画役者として好みです。

・実を言うと僕自身が今こっちでは半地下物件もといベースメントに住んでます。映画みたいに通りには面してはいないものの、小さな窓が高い所にあり日光はあまり入らず湿気も多い。そして時々ゲジも出る。まあ韓国とカナダでは天候も異なるし、劇中で一家四人が住んでる半地下物件と比べたらマシだとは思いますが、それでも住環境があまり良くないのはやはり気が滅入ってしまう。近年はcondoもとい日本で言う所のマンションが乱造されてるし、僕も上へ登っていきたいなーそんな日は来ねーなー……と思ってた所なので何かこう色々とタイムリーな感がありました。

・映画冒頭でカマドウマが"stink bugs(臭い虫)"と訳されてたのが気になり検索してみた所、stink bugsはカメムシだった。まあカマドウマは便所コオロギとも呼ばれるし、「匂い」が作品のキーワードだしぴったりの翻訳なのかな……と思ったけどそもそも韓国語で「カメムシ」って言ってる可能性もあるか。なおカマドウマの方の英語名は"spider cricket"または"cave cricket"。蜘蛛コオロギまたは洞窟コオロギですね。

 ・参考までに↓は韓国人でないと伝わりづらいキーワードのネタバレなし解説。鑑賞前に読んでおくとよいです。

www.konest.com


● 4. 『スノー・ロワイヤル (Cold Pursuit)』


Cold Pursuit (2019 Movie) Official Trailer – Liam Neeson, Laura Dern, Emmy Rossum

麻薬組織に息子を殺された除雪作業員の復讐劇。『96時間』リーアム・ニーソンだけど手に汗握るアクションじゃない!ブラックコメディ!と思いながら見てました。静かながらも爆発するリーアムの暴力とは裏腹に、勘違いから始まる抗争でギャング供がどんどん自滅していく。このギャングの面々が庶民的でどうにも憎めない。偶然の連鎖で事態があらぬ方に向かう辺りコーエン兄弟の映画を彷彿とさせるのですが、淡々サクサクとした人の死に様からは無常感よりもむしろ逆説的な人間への優しさが感じられる。いや人が死ぬ度追悼クレジットが入るからむしろキャラの扱いとしてはむしろ手厚いくらいだし、ギャングや暗殺者がカウンター扱いな『ジョン・ウィック』とは大違いだよ。

映像と音楽にも意外性がありオフビートながらも飽きさせない工夫が節々に見て取れる。見終えた後に不思議な心地よさの残る映画で、僕の中で本作は『グリーンブック』と同じヒューマンドラマのくくりになりました。


● 5. 『Ready or Not』


READY OR NOT | Red Band Trailer [HD] | FOX Searchlight

新婚初夜に行われる殺人かくれんぼを生き延びる理不尽デスゲーム映画。「何で自分がこんな目に……」という絶望からクソをクソなりに生き延びようという反骨心へ。根拠のない希望が湧いてくる娯楽作でした。

ところで話は変わりますが、日本でマイナンバー制度が導入される際「管理社会の到来!」などとその危険性が叫ばれていました。しかしいざ導入されてみれば運用がグズグズで、そもそも政府に管理能力がなかったことが露呈してしまった。システムを作るのも当然人間であり、上から下まで旧弊を引きずったままの社会ではシステムをメンテもアップデートもできずに疲弊していく。今の日本で起こっているそんな笑えない現実を私達は現在進行形で目の当たりにしている訳です。その目線をフィクションに持ち込んだ時、最早いちジャンルとして定着したデスゲームものはそのリアリティに大きな疑問符がついてしまう。『SAW』シリーズのように一部の天才が仕掛けたゲームであれ、『ハンガー・ゲーム』のようにディストピアの制度の一部としてであれ、当然人間抵抗だってするのだし、無情なシステムに人間を組み込んで滞りなく運営できるほど人はそこまで賢くない。要するにデスゲームの神運営なんて土台無理な話。

その点『Ready or Not』は大きな括りでデスゲームものでありながら、歴史が古過ぎてゲームのルールが甘い、参加者がゲームの重要性を理解できていない等々、運営がぐずぐずで何一つ救いようがないのが面白い所。また劇中に具体的な政治的要素やリアルな描写はないにしても、「富裕層の伝統と搾取、その疲弊」に人の生き死が左右されるあたり割と生々しさがある。その他、金持ち一家の面々もキャラが立っていたし、ウェディングドレス姿で必死のサバイバルを繰り広げる主演のサマラ・ウィービングが美しかった。『ナイブズ・アウト』同様に"Fuck rich people"な映画だったと思います。

オチは筒井康隆の初期SF短編じゃねえんだし……って位しょうもないけど潔くて好きです。金持ちに寛容と改心を求める必要はないのだ。


● 6. 『Stockholm』


Stockholm Trailer #1 (2019) | Movieclips Trailers

強盗犯とその被害者である銀行員の間に結ばれる奇妙な関係を描いた本作。「ストックホルム症候群」という言葉の元となった銀行立てこもり事件が題材ですが、その心理を分析するシリアスドラマかと思いきやまさかのコメディ。しかもその中心がイーサン・ホークとなればもう最高じゃないですか。

今作のイーサン・ホークは頭の弱い弟分みたいなキャラなんですが、「ヒャッハー!」と始めた強盗計画が無鉄砲で「やべ、どうする」と慌てふためくし、始めた動機も兄貴分のためなのが健気だし、人を傷つける気はさらさらないのに自分でどんどん追い込まれていくという、愛してもどうしようもないこのダメ人間ぶり。でもその愛嬌に惚れてしまうんですよね。また兄貴分のマーク・ストロングといい銀行員のノオミ・ラパスといい、コメディの中でもそれぞれ役者の色気がほんのり漂っていてとても良かった。

ある意味イーサン・ホーク通常運転なんですが、軽薄と直情を突き詰めた先にあるピュアな愛情と「こういう生き方しかできなかった」男の時の流れを感じさせて、中々に切ない映画でありました。


● 7. 『The Art of Self-Defense』


THE ART OF SELF DEFENSE | Official Trailer

ジェシー・アイゼンバーグといえば、今年は『ゾンビランド:ダブルタップ』がありました。『ゾンビランド』から十年ぶりの続編でオリジナルキャストも集結して安心の出来でしたが、僕としてはこちらの方が面白かった。近年よく話題にされる「有害な男らしさ(Toxic masculinity)」を題材に淡々と進んでいくデッドパンコメディです。気弱な青年ケイシーが強盗に遭ったのをきっかけに空手道場に入門、しかしそれは胡散臭い教えと力に支配された内向きのカラテ・カルトだった。強くなりたい、認められたい。そう言った思いからジェシー演じるケイシーは空手にのめり込んでいくことになる。

そんな本作に関して、フェミニズムの文脈にあるスーパーヒーロー映画『キャプテン・マーベル』との類似点を指摘した以下の記事が印象に残っています。

www.pajiba.com

「何度も立ち上がってきたからこそあなたは英雄なんだ」と誰の中にも抑圧に抵抗する力があることを示したのが『キャプテン・マーベル』なら、『The Art of Self-Defense』は「最後に立っていたものは誰であれ英雄だ」。ケイシーが訥々と語る「僕を脅かすものに僕もなりたい」という言葉は、自分の外側にあって自分を抑圧する側の規範を内面化してしまうtoxic masculinityの本質を鋭く突いたものでした。恐怖と裏返しの力への憧れから日々の生活をカラテで埋めていく、そんなケイシーの姿が可笑しくも痛ましかった。

キャプテン・マーベル』がフェミニズムのエンパワーメントであるならば、本作は有害な男らしさをスポイルする作品であったと思います。


● 8. 『フリーソロ (Free Solo)』


Free Solo - Trailer | National Geographic

来る日も来る日も心身を鍛え、大舞台での一瞬に向けて己を研ぎ澄ませていく。そんな機会スポーツ選手か舞台俳優かでもない限り中々訪れないもので、そうした生業と無関係な人はせいぜい就職面接が関の山か。たとえ何かに挑戦したとして大概はやり直しが効くし、至らない所は「次こそは」と次回の課題に回せばいい。そんな「普通」な身の上からはアレックス・オノルドが成し遂げた命綱なしでのヨセミテ登頂(フリーソロ)は到底理解し難いもの。以下の過去記事ではそうした挑戦者を見守る側の視点から感想を書きました。

tkihrnr.hatenablog.com

その一方で、オノルドという挑戦者の側についても思うことがある。当然ながらフリーソロではささいな失敗や気の緩みが文字通り命取りとなる。だからオノルドは登頂に向けて途方もない鍛錬とシミュレーションを繰り返す。岩肌で姿勢を保つ筋力をトレーニングで維持し、登頂を可能にするルートを試行錯誤の中から見つけ出し、イメージトレーニングと命綱つきで実際に登頂を反復する。そうした経験と鍛錬の積み重ねがあればこそ、オノルドは恐怖でパニックになることもなく登頂を達成した。登頂にかかった四時間は彼自身だけが頼りであり、言うなればその間オノルドはオノルド自身の命綱であったと言える。命を懸けたチャレンジに身を投じることには全く共感しませんが、一つ事への専念と集中力で偉業をなした彼には素朴な崇敬の念を抱きました。

翻って僕自身はどうかと。本作からはそんなことを問われているように感じました。日々いろいろな事柄に気を取られがちなので、その時大事なことにはその都度専念できるようになりたいなあと。まあ気が抜けるとすぐ戻ってしまうんですが……幸いやり直しの効く人生なんでちょっとずつでも命綱を太くしていきたいなと思ってます。


● 9. 『ターミネーター:ニュー・フェイト (Terminator: Dark Fate)』


Terminator: Dark Fate - Official Trailer (2019) - Paramount Pictures

本作についてはTwitterやふせったー(https://fusetter.com/tw/d4AsW#all)でいろいろ書き尽くしました。単品としてもシリーズ新作としても不味い部分を承知しつつも大いに楽しんだ一作でした。Twitterで「ターミネーターは百合」がバズったりもしてましたが、個人的なハイライトはあくまでラストバトル。逃亡から迎撃戦への転換、誰もが前線に立っての集団戦はシリーズ的にも新機軸だったと思ってます。

集団戦といえば『シン・ゴジラ』のような組織戦、優秀なリーダーとそれを支える現場が各々の役割を全うして勝利する「現場プロフェッショナルロマンチズム」的な作品もありますが、NFの場合はそれぞれに動機を持った人々の集まりでした。彼女らが泥臭く困難に立ち向かう中、不揃いの個の足並みが一致する瞬間が格好良い(現場プロフェッショナルロマンチズムに関してはこちらのツイートが説明しています→https://twitter.com/hokusyu82/status/645199820307562497)。また今作のターミネーターRev-9とサラ達のやりとりも好きでした。ダニー抹殺指令に全てを捧げる文字通りマシーンのRev-9が「なぜその女を守る。お前とは無関係だろう」と言うのに対し、リンダ・ハミルトン演じるサラ・コナーが"Because we are not machines."と言い放つ。その場に旧ターミネーターたるシュワちゃんが別の形でいるのが良いですね。

誰かのために動くことができたものは誰でも人間なんだと。非常にど直球ど王道ではありますが、そのやりとりが利他精神とヒューマニズムを象徴するようで、僕の中でNFは2017年の『ワンダーウーマン』に連なる作品となりました。ちなみに来年公開されるワンダーウーマン二作目の舞台はターミネーター1と同じ1984年。かの時代が2020年の現代にどう描かれるのか気になる所です。


● 10. 『スパイダーマン:スパイダーバース (Spider-Man: Into The Spider-Verse)』


SPIDER-MAN: INTO THE SPIDER-VERSE - Official Trailer #2 (HD)

年始に観た時の「凄いものを見た」感覚が未だに残っていたのでこれは入れておきたいなと。アメコミ風シェーディングの3DCGをさらにコマ落とししたかようなあのアニメーションにやられました。コミック風演出を合間に挟み込むのにもぴったりの表現技法だし、コマ撮り人形アニメにも通じる独特の躍動感がある。カラフルで刺激的、とことん観るドラッグな一本でした。

正直ストーリーにはお題目じみた楽天的な理想主義を感じてしまって、僕にとってのスパイダーマンはやはり市民社会のヒーローを描いたサム・ライミ版三部作だと再認識した部分もあったのですが。「大いなる力には、大いなる責任が伴う」の名セリフが言い表すように、それは人は何かをなし得る力を得てしまった時、それにつきまとう困難を引き受けながらも己の役割を社会に見つけていくものだ。たとえきっかけは偶然でも自ら引き受けてなるのがヒーローなんだと。その点、『スパイダーバース』は「誰でもヒーローになれる」「一人じゃない、仲間がいる」がスタートラインにあり、多様性と包括という文脈に則った当世の作品だったと思います。

ただそんな本作が上の名セリフを「みなまで言うな。うんざりだ」と軽くライトに扱って見せたことには感心しました。そんなことはもう当たり前なんだ、深刻さをひとりで負う必要はない、誰もが善をなす力を持っているし、その責任も困難もシェアされていい。社会責任のテーマにおいて、『スパイダーバース』は未来を担う若者達に向けてそんなメッセージを送っていたように思いました。実際今年話題になったグレタ・トゥーンベリの件を巡る諸々を見ていても、若い世代の方がよっぽど環境問題といった未来を自分事として捉えているし、希望と責任感の両方を持って行動していると思う。そこにくると「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という規範意識にした所で無遠慮に他人に向けられたならそれは結局パターナリズムや自己責任論とそう距離の遠くないもの。こういう所に「ファースト以外認めない」「お前たちの平成って醜くないか?」のメンタリティが生まれてくるんだろうな。

自分の力でなしうることとその責任は自任しつつも、手を差し伸べたり差し伸べられたりするくらいがいいんだろうとか。自分が生まれ育つ中で触れてきたもの好きだったものは認めつつも、新しいものに触れつつ価値観のアップデートをしていきたいものだとか。本作のことを考えているうちにそんなことを思いました。

 

以上、2019年映画個人ベストでした。流石に毎年続けていると自分の作品評価の軸が定まってる感じがしますね。

他、選外作品としては『シャザム!』『ジョン・ウィック/パラベラム』『グリーンブック』『ジョジョ・ラビット』『ミスター・ガラス』『アクアマン』『ファイティング・ファミリー』『ミッドソマー』。

いつも読んでくれてありがとう、今回はじめて読んでいただいた方にもありがとう。それでは皆様良いお年を。

【※追記訂正あり】デヴィッド・F・サンドバーグ監督『シャザム!』短評


SHAZAM! | Official Teaser Trailer | DC Kids

大人の姿をしたスーパーヒーローになる力を得たビリーと、里親の下で共に暮らすその友人フレディ。スーパーパワーに沸き立つ彼らのはしゃぎぶりがほほ笑ましく、どこか懐かしいのは、映画のスターやヒーローに憧れたかつての僕らがそこにいるからだ。スーパーヒーローの新しい在り方を模索するマーベルを後目に、DCの『シャザム』は80年代アメリカ映画への憧憬を隠さない。

舞台のフィラデルフィアは『ロッキー』。オフィスビルの大惨事は『ロボコップ』、ショッピングモールでの格闘は『コマンドー』、夜の遊園地は『ビッグ』。至る所に往年の名作を思わせる風景が刻まれている。また夜景やネオン、チープさを残した合成、一見現代的なPOV演出からも、ブラウン管越しに映画スターを見つめた映像体験が甦ってくるようだ。監督のデヴィッド・F・サンドバーグは過去、自ら主演監督した短編『KUNG FURY』でも80年代アクション映画に熱烈なオマージュをささげていた。彼のオタクぶりは相変わらずだが、その感性は今作で万人が楽しめるファミリー映画にまで昇華されたといえる。

何よりビリーの成長と、新しい家族を得るまでのドラマがユーモラスで楽しい本作は、今の子供達にとってお守りのような映画となることだろう。少年が本の世界に耽溺した『ネバーエンディング・ストーリー』、クリスマスを子供ひとりで戦い抜いた『ホームアローン』、悪ガキどもが冒険を繰り広げた『グーニーズ』。かつてサンドバーグが映画から受け継いだ魔法の数々を継承するおまじない、それこそが『シャザム!』にほかならない。その魔法は現実の何者をも救ったり傷つけたりせず、ただ傍にあるからこそ価値がある。

ところが、ひとたび大人がその魔法を手にしたなら、それは危うい力となるのである。女性のエンパワーメントを強く意識した『キャプテン・マーベル』をバッシングしているのは『シャザム!』の熱烈なファンであるという。現実との接点を欠いた子供向け作品は保守的な思想と相性が良く、感傷と郷愁に塗れた「大きな子供達」が新時代を脅かす勢力になり得ることは心しておかねばならない。いつか魔法を手放す日がやってくる。そうしたテーマと向き合った上で、この現代にスーパーヒーローを描けるか。そこにデヴィッド・F・サンドバーグの真価が問われている。

 

Director: David F. Sandberg
Writers: Henry Gayden, Darren Lemke
Stars: Zachary Levi, Mark Strong, Asher Angel, Jack Dylan Grazer

 

*2019年4月21日追記

本記事でデヴィッド・F・サンドバーグを『Kung Fury』の監督主演だと書きましたが、正しくは『Kung Fury』のデヴィッド・サンドバーグ(David Sandberg)は同性同名の別人のようでした。肝心なところでの事実誤認であり、見当外れな記事になってしまいました。読んでくれた方々には申し訳ないです。 

ちなみにこの事実は映画評論家小野寺系(@kmovie)さんのツイートで知りました。小野寺系さんの『シャザム!』評が素晴らしいのでぜひ読んでください。

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